■唸声米国/ジョン万次郎の家、寄付集まらず博物館断念、売却か?

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わずか40万ドルが集まらず歴史的建造物が灰燼に帰すのか?それとも何か集まらない理由があったのか?代表のグリーン会長の奥方はアサミさんと言う日本人、不純な動機は考えられないが・・・。グリーン会長の本職は弁護士、30万ドルの私財を投入しこの建物を2006年の競売で購入していた。

 

捕鯨が取り持ったジョン万次郎とホイットフィールド船長の思い出の家を残そうと「万次郎歴史友好協会」は頑張ったのだが、非常に残念な結果である。同協会はこんなことを言っている『当協会は、友情の物語を伝えていくことに全力を注いでいます。わたしたちは、捕鯨に対しての支持はいかなる形においても一切行っておりません。』これが蛇足ならぬ鯨足となったか?


写真上左は築175年荒れ放題のジョン万次郎の家とグリーン氏、上中はジョン万次郎、上右はキャプテンWILLIAM WHITFIELD

ジョン万次郎の家をグリーン氏が紹介しているビデオ↓(リンク先なし)

http://www.manjiroship.org/html/images/manjiromovie100kbps.wmv

下左グリーン氏と奥方のアサミさん、下中ボストン総領事鈴木庸一氏、下右は鏡開き、樽酒は米国宝酒造より寄贈、全ての写真は万次郎歴史友好協会のHPより(リンク先なし)

http://www.manjiroship.org/html/html/index_j.html


写真はジョン万次郎が暮らした部屋、ホイットフィールド船長宅の3階部分

 

『キャプテンは、わえの神さんじゃなあ。ほんまに足向けて寝られんお人じゃ。』

 

USFRONTLINE2006/12/21ジョン万次郎の家修復へ~「日米出会いの場所」】

マサチューセッツ州ボストンから南に約100キロ。小さな港町フェアヘーブンで今月初め、ささやかな式典が開かれた。江戸時代末期に米国に渡ったジョン万次郎(中浜万次郎)が「ホームステイ」した家を修復する計画のスタートを記念するイベントだった。

 

「日本と米国はここで初めて出会った。両国関係にとって最も重要な場所です」。計画を推進する「万次郎歴史友好協会」のダニエル・グリーン会長は語る。

 

1841年、現在の高知県土佐清水市出身の少年万次郎は出漁中に遭難。無人島に漂着し、米捕鯨船に救助され、船長の自宅であるこの家に入った。白を基調にしたニューイングランド風の家屋に囲まれ、「船長の家」と地元の人々に呼ばれるこの家だけは住む人もいない。築175年の家が「過去25年間、修理もされなかった」(グリーン氏)とあっては荒れるのも無理はない。日本から訪れる観光客も外側から見るだけだ。

 

「万次郎が過ごした家を多くの日米市民に見てほしい」。ニューヨークで弁護士をするグリーン氏夫妻が、売りに出されていたこの家を私財30万ドルを投じて同協会のために購入、修復への道筋がついた。計画ではさらに40万ドルをかけて2007年秋までに観光客用の宿泊施設などを備えた建物に改築する。

 

この日の式典は、隣接する当時のままの馬車小屋で開かれた。氷点下10度近い寒さの中、日米の関係者約50人が参加。地元のクリス・リチャードさんは「日米友好が始まったこの町に住んでいるのは私の誇りです」と語った。

 

「日本の首相も(小泉純一郎前首相が訪れた)エルビス・プレスリーの邸宅でなく、フェアヘーブンにこそ来ていただきたい」。グリーン氏の願いだ。

 

万次郎はこの地で英語、数学、航海術、造船技術などを学習。1851年に帰国後は幕末から明治維新の激動期に通訳、技術者、学者として、始まったばかりの日米交流を下支えした。(共同)

 

SANSPO7/21-万次郎の家、資金不足で修復が頓挫「最後の期待かける」】

 江戸時代末期に日本人として初めて米国に渡ったジョン万次郎(中浜万次郎)が、米東部フェアヘーブンで滞在した住宅を修復、博物館とする計画が資金不足から中止に追い込まれたことが20日、明らかになった。

 

 フェアヘーブンはマサチューセッツ州ボストンの南約100キロにある港町。計画を推進する「万次郎歴史友好協会」(ダニエル・グリーン会長)が昨年12月、北米に進出している日本企業などを対象に40万ドル(約4800万円)の寄付を募り住宅を再建する計画をスタートさせた。

 

 グリーン会長は20日、「日本企業など寄付を頼んだ相手から反応がなく、家は売り出されることになった。日本の個人あるいは企業が家を買い取ってくれないかと最後の期待をかけている」と訴えた。

 

 万次郎は現在の高知県土佐清水市で漁師の子として生まれた。14歳だった1841年、出漁中に遭難し、無人島に漂着。捕鯨船に救助され、住み着いたのがフェアヘーブンにあった同捕鯨船船長宅のこの住宅だった。

 

 築175年を超え、日米友好関係のシンボルともされるが、修復が遅れていたという。

 

 万次郎はフェアヘーブンで英語、数学、航海術などを学び、1851年に帰国。幕末から明治維新の激動期に通訳、技術者として活躍した。(共同)

http://www.sanspo.com/sokuho/070721/sokuho004.html

 

◇万次郎歴史友好協会HP日本語(リンク先なし)

http://www.manjiroship.org/html/html/index_j.html

全て日本語ではありません。

 


 

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このページは、唸声が2007年7月22日 17:27に書いたブログ記事です。

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