写真は金日成主席と李升基博士、キャプションには「李升基博士の事業と生活をあたたかく面倒を見る偉大な首領金日成主席」とある/ネットより
http://www.uriminzokkiri.com/Newspaper/PhotoBook/miso/htm/8.htm
1939年、京都帝国大学工学部工業化学科の桜田一郎教授、李升基助教授、川上博助手と鐘淵紡績の矢沢将英氏らとともにビナロンの合成に成功した。下記の朝鮮新報では、ビナロンは李升基助教授の発明となっており、日本人は登場しない。
黒田氏は『北朝鮮で改めて“日本”が脚光を浴びている』と書かれたが、残念ながら、北朝鮮ではビナロンは北朝鮮の科学者李博士が作ったものと考えられており、日本のことなど全く関係ないと見ているだろう。
李博士は、終戦後は韓国へ帰り、ソウル大学校の工科大学学長になり、朝鮮戦争で北へ渡る。韓国では拉致とみているようだが、上記写真を見る限り、金日成主席よりビナロンの研究を北朝鮮で続けるように持ちかけられ、本人の意思で北朝鮮に渡ったと思われる。上記の朝鮮新報によれば、自動車では空襲の危険があるからと「牛車」で移動したと書かれている。
李博士は寧辺原子力研究所の初代所長であり、核開発にも深くかかわっていたのだろう。ビナロンだけでは国葬はあり得ない。
ただ、以下の写真を見ると金正日総書記は、ビナロンに相当力を入れているようだ。
写真と記事は中央日報2010/3/10より
http://news.joins.com/article/023/4053023.html?ctg=1000
新聞の写真は、3月6日に咸興広場が行われた「2・8ビナロン連合企業所再稼働祝い」の様子。10万人を動員したとのことで広場が赤く染まっている。A・Bの位置には特大写真パネルが掲げられており、上右Aと下左Bの写真である。
上右Aは1961年5月に2・8ビナロン連合企業所工場が稼働した時のもので金日成親子が群衆に答礼しているもの。当時は白黒写真であったが、カラー写真に修正されている。
下左Bは、先月金正日総書記が工場を訪れ、ビナロン綿を手に取っている様子を写したものだが、サングラスは普通の眼鏡に変えられ、顔までもが20年も若く修正されている。下右Cがいつもの巡回の姿である。
ビナロンは化学変化や熱に強いが、染色しづらく、ごわごわするという欠点があり、衣料用の繊維としては作業服や学生服に使われるのみである。海苔用のネットや漁網、ロープ、ホースなどに使われている。
総書記がそんなに力を入れるなら、いつものジャンパースーツもビナロンになるかな?
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