以下はやせ衰えたラトコ・ムラジッチ被告の写真、6枚目の写真は数十体にも及ぶ遺体の発掘現場、23枚の写真有
8000人を殺害し大量虐殺、8000万人を殺害してもいまだ英雄、東京大空襲で殺害された10万人に対しては大量虐殺と言う言葉は使われない。広島や長崎の原爆で殺害された30万人にも大量虐殺は使われない。インチキ東京裁判では、平和に対する罪は一方通行である。
【IZA5/27-「片腕マヒ、やせ衰え…」大量虐殺罪の元司令官】
【ドービル(仏北西部)=木村正人】1992~95年のボスニア・ヘルツェゴビナ紛争時のセルビア人勢力最高司令官で26日拘束されたラトコ・ムラジッチ被告(69)は同日夜、セルビアの首都ベオグラードの裁判所に出廷し、尋問を受けた。セルビアが目指す欧州連合(EU)加盟の“障害”にもなってきた同被告が16年間の潜伏の末に拘束され、オバマ米大統領ら主要国(G8)首脳会議(ドービル・サミット)に出席中の欧米各国首脳も一様に歓迎の意を表明した。
ジェノサイド(大量虐殺)などの罪で同被告が起訴されているオランダ・ハーグの旧ユーゴスラビア国際戦犯法廷への移送は1週間後になる見通し。
現地からの報道では、同被告は真っ白な頭髪に野球帽をかぶり、ゆっくり歩いて出廷。16年に及んだ潜伏生活で精悍な面影は消え、片腕がマヒし、やせ衰えていた。「精神的・肉体的に困難な状態」(弁護士)として尋問は中断されたが、27日にも再開される予定だ。
2008年に拘束されたセルビア人勢力政治指導者ラドバン・カラジッチ被告(65)は長いひげをはやし変装していた。これに対し、ムラジッチ被告は、ベオグラード北方のラザレボ村の親類宅で拘束されたとき、「ミロラド・コマジッチ」というニセの身分証明書を持っていたが、ひげもはやさず、変装もしていなかった。2カ月前からこの親類宅に身を寄せていたが、同被告に似た人物がいるという通報で警察が2週間前から内偵していた。
本紙記者が昨年12月、ベオグラードを訪れた際、紛争時にムラジッチ被告を警護していた元兵士の1人は「最高司令官は戦犯ではなく、立派な軍人だ。絶対に捕まってほしくない」と話していた。世論調査で国民の約4割が被告を「英雄」と答えた時期もあった。
同被告は1995年、ボスニア・ヘルツェゴビナ東部スレブレニツァでイスラム教徒約8千人を虐殺したなどとして起訴された後も、セルビアのミロシェビッチ大統領(2001年に逮捕、公判中の06年に死亡)にかくまわれ、05年まで軍人恩給を受給していたが、06年に姿をくらました。
同被告は軍と情報機関に守られ、ベオグラードでサッカーの試合を観戦したり、普段着でバーで飲んだりする姿が伝えられ、08年に妻らとスキーを楽しむ様子もテレビで放送された。
しかし、景気浮揚のためEUへの早期加盟を目指すツベトコビッチ首相が08年に就任すると風向きが一変、戦犯追及が本格化した。同被告は一時期ロシアに逃れていたことが確認され、銃器の違法所持で公判中の同被告の妻は最近、「同被告は死亡した」と証言していた。
以下は雪山で家族と過ごすムラジッチ被告↓
以下は2008年に拘束されたラドバン・カラジッチ被告(65)のヒゲ変装の比較写真↓
http://www.thefirstpost.co.uk/79516,in-pictures,news-in-pictures,ratko-mladic-arrest-pictures,8
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