写真上はジョージ・ライト受刑者/ロイター動画より
写真下は脱獄後、1972/7、ハイジャックをした時の記事/ロイター動画より
http://mbl.is/mblvideo/reuters/c8/62920_84119482.mp4
以下にポルトガルで住んでいた家と奥さんと息子の写真あり
ジョージ・ライト受刑者は、ポルドガルのAlmocageme(リスボンの西45km)に住んでいた。最近はクラブの用心棒をしていたと言う。かつて、海岸で露店もやっていたこともあるし、近くの町でバーベキューチキンレストランをやっていたこともあると言う。
ポルトガルの身分証明書(national identity card)を発行してもらうために指紋を取り、その指紋が1972年のハイジャック犯のものと一致したために捕まったのだ。20年以上のポルトガルでの平穏な生活は犯人の警戒心を解いていった。
ジョージ・ライトは米国人の出生を隠し、西アフリカの旧ポルトガル植民地ギニアビサウ生まれで、ポルトガルの身分証明書(たぶんニセモノ)を持っていた。その名前は、Jose Luis Jorge dos Santos、1993年に発行され2004年に期限切れとなっていた。流暢なポルトガル語を話していたと言う。
【IZA9/28-脱獄から41年ぶりに米殺人犯拘束】
米連邦捜査局(FBI)は28日までに、殺人罪で服役していた米刑務所から1970年に脱獄した受刑者が41年ぶりにポルトガルで拘束されたと発表した。同受刑者は脱獄後、旅客機をハイジャックしてアルジェリアに逃亡した後、姿を消していた。
拘束されたのはジョージ・ライト受刑者。ライト受刑者は62年11月、米ニュージャージー州のガソリンスタンドに強盗に押し入った際、男性1人を射殺し、間もなく逮捕された。同州の刑務所に服役していたが、70年8月に脱獄。72年7月、5人組でデトロイト発マイアミ行きの旅客機を乗っ取り、アルジェリアに逃亡した。
アルジェリア当局は、ライト受刑者らが受け取っていた乗客らの身代金100万ドルと機体を没収したが、受刑者らを数日後に釈放した。ライト受刑者を除く4人は76年にパリで拘束されたが、ライト受刑者の行方は不明のままとなっていた。(共同)
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