▼唸声の気になる映像/台湾:高雄市、「高雄燈會藝術節」に姉妹都市より市長を招く

| コメント(0) | トラックバック(0)

写真は八王子市長黒須隆一氏/YouTubeより、1月29日、高雄市と姉妹都市になっている八王子市、ポートランド市(米国)、シアトル市(米国)、ブリスベン市(オーストラリア)、釜山市(韓国)の五都市よりゲストを招いている。

http://youtu.be/JEXTwt9uosg

台湾風の踊りがなんとも・・・。こうした席で重要なのはその席次である。黒須市長の対面に陳菊市長が座っている。かなり遠い位置だが・・・。

 

黒須市長の任期は2012/1/28まで、後任は石森孝志氏(54)に任せ、黒須市長の卒業式は高雄市で行い、黒須隆一氏は高雄市の名誉市民に選ばれた。

 

IZA2/17-《盧千恵のフォルモサ便り》姉妹都市 市長の卒業宴 青い目の神父が教えてくれた世界】

 東京・八王子市の黒須隆一市長が任期最後の日を、姉妹都市の台湾・高雄市で過ごしました。その夜、高雄の陳菊市長は、12年間市長を勤めた黒須市長の卒業宴を開き、長年交流に力を尽くされた氏の労をねぎらいました。両市の姉妹都市締結の紹介役をつとめたのが、当時の台湾駐日代表、許世楷だったということで、その宴にわたしたちも招かれました。

 

 高雄と八王子両市は、小中高校、看護学校から、ロータリークラブ、ランタン祭りなどさまざまな交流を行ってきました。それは形だけのものではなく、黒須市長の真心をこめた働きによって、実質のある交流を成し遂げ、高雄市は八王子市から多くのことを学んだ、と陳菊市長は感謝のことばを述べていました。糸の半分をお互いが持ってつながっている両市の「絆」、いつまでも続きますようにと祈りました。

 

 その宴席のわたしの隣に年老いた西洋人が座っていました。

 「英語? 中国語? 何語で話しましょうか?」

 「台湾に来たからには台湾語で話しましょう。それ以外では話しませんよ」

 「どのぐらい台湾にお住みなのですか? 上手な台湾語を話されるので、驚いています」

 「1962年、台湾へ派遣され、国外退去されるまでの17年間」

 「もしかして郭神父ですか?」

 「はい、郭佳信です」

 

 1960、70年代、台湾人がもっとも無力で孤立していたときの外国の友人、郭佳信神父とこのようなところでお会いするなんて、本当に驚きました。

 

 ■心の安らぎ見いだす

 中国共産党に追われた蒋介石軍が台湾へなだれ込み、戒厳令をしき、台湾人の尊厳、権利が剥奪されていた時代のことです。郭神父は台湾語の聖書で台湾語をマスターし、中部の彰化埔心羅厝天主堂で青少年補導のしごとにつきました。台湾語を話す青い目の神父は、子供たちから、学校では台湾語を下等、中国語を上等と差別していることを知り、驚きました。その後、学生たちの髪、服装、考え方までを、政府が学校を使って統制していることに気付き、学生たちが自尊心のない、他人に操られるパペットに育っていくことに我慢ができなくなりました。

 

 郭神父は、子供たちに木版画を教え、他人の鞭によって働く牛ではなく、自分の心に従って行動する人間であるようにと、芸術を通して自由闊達(かったつ)な世界があることを教えました。

 

 このような考えを持つ神父に心ひかれて、青少年だけでなく、自由、民主、人権を求めていた若い人たちが集まり、その中に姚嘉文(後の考試院院長)、謝聡敏(後の総統府国策顧問)、陳菊さんらがいたのです。郭神父は話し合いの中で、台湾人の心の痛みに気づきました。社会正義を求め-それは時には死の陰をも伴う危ない谷であった-ていた若い人たちは、安心して話し合える場所と同時に、心の安らぎを郭神父の天主堂の中に見いだしていたのです。

 

 ■国外退去、米に帰国

 1979年12月10日、美麗島雑誌社が高雄で行った「人権デー平和デモ行進」に、国民党政府所属の「疾風行動隊」は殴り込みを掛け、乱闘騒ぎが起きたのを理由に、政府はデモ指導者の逮捕を始めました。反乱罪は、死刑または無期の重罪です。台北に避難していた陳菊さんは、別の神父に車で運ばれ郭神父の計らいで天主堂の後ろにある女子修道院にかくまわれました。6日目、100人近くの警察官が修道院を取り囲み、捕まえに来ました。「郭神父は、そのとき私の肩に手をおき、のどをつまらせながら『神よ、このむすめを守りたまえ。勇気を与えたまえ』と祈ってくれた」と、話していました。その後、郭神父は「一番悲しい刑罰-国外退去」に処され、アメリカへ帰りましたが、台湾のために祈らない日はなかったと述べていました。

 

 「たびたび政治に関与するなと警告されたが、28歳で神父の職を選んだのは、神の正義が地に行われるようにと願ったからだ。台湾で過ごしてきた日々を後悔していない」

 

 「寒いニューヨークから、暖かい高雄にもどってきて下さい。私が、住むところをさがしてお世話します」と、陳菊市長は目を潤ませいいました。

 

 「もっと若かったらもどって来て働けただろうけれど。84歳、人生の卒業旅行に、懐かしい台湾に来ることができて、もう思い残すことはないよ」

 

 ブルーの澄んだ目は、満足の輝きにあふれていました。

 

 台湾に多くを与えてくださったお二人の人生、その卒業宴に連なることができたわたしはすがすがしい気持ちで、満天の星空を眺めながら帰途につきました。

 (許世楷(コー・セーカイ)・元台北駐日経済文化代表処代表の令夫人、盧千恵/SANKEI EXPRESS)

http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/world/china/546194/slideshow/458643/

 

高雄市と姉妹都市は以下の通り

ホノルル市(アメリカ合衆国ハワイ州)

メイコン市(アメリカ合衆国ジョージア州)

タルサ市(アメリカ合衆国オクラホマ州)

コロラドスプリングス市(アメリカ合衆国コロラド州)

マイアミ市(アメリカ合衆国フロリダ州)

サンアントニオ市(アメリカ合衆国テキサス州)

シアトル市(アメリカ合衆国ワシントン州)

ノックスビル市(アメリカ合衆国テネシー州)

プレインズ市(アメリカ合衆国ジョージア州)

ペンサコーラ市(アメリカ合衆国フロリダ州)

モービル市(アメリカ合衆国アラバマ州)

リトルロック市(アメリカ合衆国アーカンソー州)

ポートランド市(アメリカ合衆国オレゴン州)

ブリスベン(オーストラリアクイーンズランド州)

釜山市(韓国)

バランキヤ市(コロンビア)

カルタゴ(コスタリカ)

セブ市(フィリピン)

ダナン市(ベトナム)

ダーバン市(南アフリカ)

ブランタイヤ市(マラウイ)

東京都八王子市(日本)

 

姉妹都市の明確な規定などはない。我が国においては、自治体の国際提携の情報提供と支援を行う財団法人自治体国際化協会の基準として

1.両首長による提携書があること

2.交流分野が特定のものに限られないこと

3.交流するに当たって、何らかの予算措置が必要になるものと考えられることから、議会の承認を得ていること

の三つの要件を満たしていることを条件としている。(ウィキペディアより)

 

 

トラックバック(0)

トラックバックURL: http://gakugo.net/unarigoe/mt-tb.cgi/1166

コメントする

唸声


世界のニュースネタをお届けします。映像や写真、色々な国の新聞もご紹介します。笑いあり、涙あり、グロもあり!世界には我々日本人の知らないことがいっぱいあります。

このブログ記事について

このページは、唸声が2012年2月17日 19:30に書いたブログ記事です。

ひとつ前のブログ記事は「▼唸声の気になる映像/北朝鮮:金正恩体制下で初の軍事パレード、金正日生誕70周年」です。

次のブログ記事は「▼唸声の気になる写真/北朝鮮:金正男ピンチ、共産主義プレイボーイの処分か?」です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。

月別 アーカイブ