■48年前の8月26日の出来事<1964/8/26>
写真はお化け煙突こと千住火力発電所の煙突/昭和の写真より
http://tansaisuketti.at.webry.info/201105/article_2.html
昭和39年8月26日、千住の名物、お化け煙突が解体された。唸声も子どもの頃にはよく見た煙突である。見る位置により本数が変わって見えた。
この発電所は大正15年(1926年)から昭和38年(1963年)まで稼働していた。発電能力は75000kW、燃料は石炭を使っていたが、昭和28年(1953年)にはボイラー1缶か重油に切り替えられた。老朽化と豊洲の新東京火力発電所が建設されたことで廃止された。
ちなみに東京ドーム3個分の「メガソーラーたけとよ」の発電出力は7500kWと千住発電所の1/10、太陽発電だけでは電気は足りない。
■唸声一言/山本美香さんは誰に殺されたのか?
山本美香さんは初めから狙われていたと言う。「日本人だ」とシリア人が叫んだ後に銃撃が始まった。シリア人には中国人も韓国人も区別はできないのに、何故日本人なのか?パートナーの佐藤さんの方は失礼ながら日本人の私が見てもナニ人か分からない。山本さんがアレッポの空爆地区に入ったことを知っているものだけが分かる事実だ。自由シリア軍の中に政府軍のスパイがいるのか?そもそも銃撃したのは政府軍ではない可能性もある。シリア政府にとって日本人女性ジャーナリストを殺害することで何のメリットがあるのか?隣国をも分からない我が国にはシリアのことなど分かる由もない。
■唸声もう一言/韓国における竹島とオリンピック
あのフェンシングでは、世界が韓国選手の駄々っ子ぶりを見せつけられた。誤審とは言え、非常に微妙なモノであり、審判団の協議も行われた末の結果である。それをも不満として、1時間も座り込みを続けた韓国選手には呆れるばかりである。次の試合のことなど関係ないとばかり、中断させた罪は大きい。これは、まさに竹島の不法占拠と同じ性質のものである。火事場泥棒並みに竹島を奪い、すべては後付け理由で韓国のモノとしていった。歴史的事実などはいい加減なものであり、また、どうにでもなると言うのが彼らの歴史である。要するに60年間も座り込みを続けているのである。
あの朴槿恵でさえ、「日本が韓国の領土だと認めればよい」と話している。審判さえ誤審だと認めればよいと言う韓国選手と全く同じなのである。
北朝鮮はしたたかであるが、この半島自体は一か八かである。居座り続けて、朴槿恵のように相手が諦めれば、失うものは何もないのである。しかし、これが誤審であれ、一端法的に結審すれば、その物自体だけでなく、それにまつわる嘘の努力が一切合財消失するのである。国民は失望し、だらしのない政府にその矛先が向けられる。そうなれば、自己満足を追供するために、「東海」だ「独島」だと一生言い続ける。まさに駄々っ子の如く・・・。
おまけだが、石原都知事の発言で「河野のバカが・・・」とあったが、まさにその通りである。そのバカの発言を踏襲していたのが、民主に敗れる前の自民政権である。この罪は河野同様に重い。
■今週の気になるニュースは
◇韓国:朝鮮日報「日王の戦争責任免除が過去の歴史歪曲の始まり」
http://datefile.iza.ne.jp/blog/entry/2814276/
非礼を通り越し敵意剥き出しの韓国メディア
◇映像/五輪:劉翔の計画的棄権をメディアは知っていた!尖閣も?!
http://datefile.iza.ne.jp/blog/entry/2813343/
金メダルも棄権もシナリオ通りか?
◇中国:屋台のケンタッキーほか、コピー色々・・・
http://datefile.iza.ne.jp/blog/entry/2812287/
コピーも中国文化
◇映像/中国:ハルピン市の橋が崩落!開通して10か月未満の新しい橋
http://datefile.iza.ne.jp/blog/entry/2812207/
四川大地震後に工事着工されたが、反省の色なし
◇中国:ゲームに夢中で水の中!竹島に夢中な韓国は???
http://datefile.iza.ne.jp/blog/entry/2811759/
感情の海の中かな
◇中国:反日デモにて
http://datefile.iza.ne.jp/blog/entry/2810887/
抵制日貨と言いながら首にはキヤノンのストラップが
◇ウクライナ:戦車修理工場?戦車の墓場?
http://datefile.iza.ne.jp/blog/entry/2810508/
これを全部修理すると100年くらいかかりそう
◇駐韓日本大使館に火炎瓶を投げた中国人に懲役10か月の判決
http://datefile.iza.ne.jp/blog/entry/2810462/
記事には「韓国大使館火炎瓶投げ込み中国人被告」とある
◇ベトナム:秋篠宮殿下、ベトナムで家禽研究からご帰国
http://datefile.iza.ne.jp/blog/entry/2809913/
東天紅のはく製をお土産に
◇韓国:親書を返送したら、大使が返ってきた?!
http://datefile.iza.ne.jp/blog/entry/2809431/
返送した親書を受け取らないと文句を言う韓国
◇中国:きれいなお姐さんたちが整列、さて何が始まるのか?
http://datefile.iza.ne.jp/blog/entry/2808902/
消火器で煙に巻くか?
◇映像/シリア:ジャーナリスト山本美香さん、至近距離から銃撃されて
http://datefile.iza.ne.jp/blog/entry/2806729/
目を背けたい遺体映像だが・・・
◇映像/BBCによる山本美香さんの追悼ニュース映像
http://datefile.iza.ne.jp/blog/entry/2808546/
BBCも異例の扱いで追悼報道、直前の取材ビデオもあり
◇中国:清華大学の新入生に対する軍事教練
http://datefile.iza.ne.jp/blog/entry/2807778/
我が国にも必要な授業
◇民主党の外交姿勢?そんなものあったの???
http://datefile.iza.ne.jp/blog/entry/2807689/
今回の領土問題の根底は民主政権の前の自民政権にあり
◇映像/中国:バスの運転手を鉄パイプでめった打ち・・・
http://datefile.iza.ne.jp/blog/entry/2805710/
鉄パイプでめった打ちににする男たちを制止する女性もすごい
◇中国:谷開来に執行猶予付き死刑判決、だけどこの女は誰だ?
http://datefile.iza.ne.jp/blog/entry/2805678/
身代わり裁判か?裁判には谷開来とまるで違う顔の女性が・・・
◇映像/北方領土に戦車揚陸艦で喧嘩を売るロシア
http://datefile.iza.ne.jp/blog/entry/2805127/
水陸両用戦車を積み込んだアドミラル・ネベリスコイで日本を脅す
◇中国:朝早く釣れたものは・・・(やや衝撃有注意)
http://datefile.iza.ne.jp/blog/entry/2804510/
全裸の女性、警察は検死せずに葬儀屋へ
◇韓国現場写真:反日李明博大統領、直筆の「独島守護標石」除幕式
http://datefile.iza.ne.jp/blog/entry/2803956/
不法施設として文化財庁から撤去命令も!我が国にすれば全てが不法建築
■唸声荘子/富者苦身疾作、多積財而不得尽用
「富者は身を苦しめて疾作(しっさく)し、多く財を積むも尽(ことごと)くは用うるを得ず」≪荘子 至楽篇≫
金持ちは身を粉にしてあくせく働いてたくさんの財産をため込むが、それをすべて使い切るわけではない。
現代中国も蓄財だけする輩は嫌われる。たくさん使うから金持ちは尊敬される。
■唸声映像/胎児の3Dプリンター
10万円也
■唸声実験/ストローゼリー
レシピなどは以下で
http://mrsmcclass.blogspot.jp/2012/07/make-your-own-squirmy-jelly-worms.html
ストローの蛇腹がなんともいいアジを出す・・・
■唸声聞き耳/ドナルド・キーン氏の言葉
戦争で亡くなった方の数ではなく、戦没者の名前を見た時に戦争の悲惨さを痛感した。2012/8/25 サワコの朝より
名前よりも数を気にする国家がある。数を気にするあまり、30万人と言う架空数値を作り出したり、数十人と過少数値でごまかしたりする。
■誕生日の音楽映像/ヴォルフガング・サヴァリッシュ
ドイツの指揮者 1923/8/26~満89歳
◇写真/Wolfgang Sawallisch
写真は2001年テルアビブでイスラエルフィルを指揮するサヴァリッシュ
以下のYouTubeより
◇映像/P.I.Tchaikovsky: Swan Lake - Wolfgang Sawallisch 2001年
チャイコフスキー 白鳥の湖 第二幕 イスラエルフイルハーモニー
バイオリンはIlya Konovalov、ハープはJulia Rovinsky
ヴォルフガング・サヴァリッシュはミュンヘン生まれ、幼少期からピアノ、音楽理論、作曲を相次いで学ぶ。指揮も、現代音楽の指揮で名高いハンス・ロスバウトに師事する。第二次世界大戦で通信兵として徴兵され、大戦後は1947年にアウクスブルク市立歌劇場でフンパーディンク作曲のオペラ「ヘンゼルとグレーテル」でデビュー。この指揮が高く評価され、第一指揮者に抜擢される。ついで1949年にはピアノ奏者としてヴァイオリニストのゲルハルト・ザイツと共演し、ジュネーヴ国際音楽コンクールの二重奏部門で1位なしの2位となる。以後指揮者とピアニスト(主にリートの伴奏者として活躍)を並立させる。
1953年にはアーヘン、1958年にヴィースバーデン、1960年にケルンのそれぞれの市立歌劇場の音楽総監督に就任する。その間の1957年にはロンドンデビュー(エリーザベト・シュヴァルツコップの伴奏者&フィルハーモニア管弦楽団の指揮)と、バイロイト音楽祭初出演を果たす。33歳でのバイロイトへの出演は当時の最年少記録(1960年にロリン・マゼールが30歳で初出演し、現在はこれが最年少記録)だった。
歌劇場での活躍の一方でオーケストラの音楽監督でも活躍し、ウィーン交響楽団やハンブルク・フィルハーモニー管弦楽団、スイス・ロマンド管弦楽団の首席指揮者を歴任。スイス・ロマンド管弦楽団では創設者エルネスト・アンセルメ亡き後のオーケストラの再構築に尽力した。(この再構築を評価する者と、「アンセルメの響きが失われた」として評価しない者が二分している)。1971年からはバイエルン国立歌劇場の音楽監督(1982年~1992年は音楽総監督)に就任。若手の逸材歌手を積極的に登用し、出演者の相対的な若返りに成功した。1988年には、ミュンヘン・オペラ・フェスティバルにおいて、リヒャルト・シュトラウスのすべてのオペラを上演して話題を呼んだ。
バイエルンのポストを退任後、リッカルド・ムーティの後任としてフィラデルフィア管弦楽団の音楽監督に就任。フィラデルフィアのポストを退任した後は特定のポストには就かずフリーの指揮者となっていたが、2006年3月に、5月以降に予定していたフィラデルフィアやローマなどでのコンサートを心臓病の悪化を理由にキャンセルし、現役からの引退を事実上表明した。
ミラノ・スカラ座からトスカニーニバトン、ベルリン・フィルからニキシュメダル、ウイーン交響楽団からブルックナーメダルを贈られている。
1967年よりN響の名誉指揮者、昭和61年(1986年)勲三等旭日中綬章を受章している。-ウィキペディアより-
■身辺雑記/
毎年、神田の居酒屋で忘年会があり、そこに山本美香さんも来ていたと言う。そのジャーナリストの忘年会に参加していた方から話を聞いた。とてもきれいな人だったと言葉に詰まる。
ドナルド・キーン氏ではないが、「日本人1名死亡」ではなく、知り合いの知り合いの死の持つ意味は大きい。
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