写真は2012/9/1のウラジオストック/Новостиより、斜張橋・足場の組まれた建物など
Владивосток: от флотского поселка до современного мегаполиса=ウラジオストック:海軍の町から近代都市へ(何故か自動翻訳するとウラジオストックが北京になる???)上記写真の左上にナオミ・キャンベルの牽引性脱毛症の写真があるとの読者情報がありました!
http://www.ntv.ru/novosti/327958/
9月8日から始まるウラジオストックのAPECを間近にして、記事には『ウラジオストックとは見分けがつかないほど変化した。海岸都市は壊れた街灯にガタガタの道路、グレーな悲観的な都市が変わった。』とある。
ルースキー島連絡橋↓大判高画質写真
http://russiatrek.org/blog/cities/the-bridge-over-zolotoy-rog-bay-in-vladivostok/
ルースキー島連絡橋の衛星写真/グーグルマップより
この写真ではまだ橋はできていない。2012/8/1に開通となった。長さ3100m、2本の橋脚(高さ324m)の間が1104mと世界一。
APECを魚釣島でやりたいものだ!
【IZA9/3-《勿忘草》極東の地】
「日本から一番近いヨーロッパ」には、成田から飛行機で2時間余りだった。9月8日からアジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会議が開かれる極東ロシアのウラジオストク。名前だけはよく知っていた街は、大会議を控えて至る所で工事が行われ、土ぼこりが舞い上がっていた。
何しろ泊まったホテルが全面、足場で覆われている。最初は営業中に見えず、重い荷物を肩に周囲を探し回り、足場の建物が当該ホテルと分かったときは驚いた。部屋に入ったら、窓の外の足場に作業中の男性がいた。
その向こうにも、道を隔てた湾岸沿いでもホテルやアパートメントが建設中だった。街中の多くの建物に足場が組まれており、路肩も整備中。一昔前の中国・上海を思わせる開発ぶりだ。
街の中心部からほど近い金角湾には、巨大な斜張橋が威容を誇る。APECの会場となるルースキー島との間にも、世界最大といわれる斜張橋がかけられた。横浜ベイブリッジのようで、首都圏の湾岸風景と見まごう。街はヨーロッパのような建物が並び、おしゃれなカフェも少なくない。スマートフォンの専門店も目についた。このような外国が、日本の近くにあるとは気づかなかった。
しかし、日本との関係は長く、深い。明治以降、海を渡った日本人が事業を興し、日本人街ができるほど発展した。だが戦後の強制抑留では、ウラジオストクやハバロフスクなど極寒のシベリアに収容され、重労働を課された。国の推計によると、約57万5000人がシベリアやモンゴルに抑留され、約5万5000人が命を落としたという。
これほどまでに厳しい歴史を経ながら、今、シベリアの街で見るアジア人は中国や韓国の人ばかりだ。街は発展し、走り回る中古の日本車だけは目立つが、日本の存在感は薄い。近くて遠い、この地域の歴史にもっと思いをはせてもいいのではないか。
往路、ハバロフスク行きの飛行機で隣席だった日本の老人は、シベリアへの墓参団の一員らしかった。「何にもないところですね、何にも」。深夜の暗いハバロフスク空港に着陸すると、外を見やりながら老人はつぶやいた。「そうですね」としか答えられなかった。(小川記代子/SANKEI EXPRESS)
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