■119年前の10月28日、チャイコフスキー交響曲第6番『悲愴』初演
写真はチャイコフスキー(右)とジロティ(左)/ロシアネットより、ジロティはリストの高弟でラフマニノフの従兄弟、ラフマニノフのピアノ協奏曲第二番は、ラフマニノフのピアノにジロティの指揮で世界初演が行われた。
http://www.rulex.ru/rpg/portraits/22/22546.htm
明治26年(1893)10月28日、チャイコフスキー自身の指揮によりペテルブルグにて世界初演、その9日後にチャイコフスキーはコレラ・肺水腫により53歳で亡くなっている。
チャイコフスキーは26歳から52歳までの間に12回のうつ病期を経験したという。悲愴作曲時には過去を思い浮かべたのか、それとも当時もうつ病を患っていたのか、うつ的な精神状態を曲に反映させているのではないかと言う説がある。-ウィキより-
以下はカラヤン指揮ウィーンフィルによる悲愴
119年前にチャイコフスキーはどんな指揮をしたのだろうか?音楽は「音が楽しい」筈なのに「悲愴」とはこれ如何に???我が国の現在の状態?
■唸声一言/石原慎太郎氏にエールを!
ここまで壊れてしまった日本を建て直すには強力なリーダーが必要である。年齢がいささか気になるが、ぶれない考え方は頼り甲斐もある。何よりも中共が嫌っている人物だけに期待も大きい。自民党には保守と言い難い人物もいるが、安倍信三総裁がいるので、これで内も外もようやく普通の国になれるか。それにしても、隣はうるさい。民衆の怒りを火山のように日本に向けて爆発させたくてウズウズしているのが中共政権、今回の反日暴動デモで自信を高めたようだが、手強い石原氏にこのままの強硬策が通用するかどうか?我が国は所詮、反日国と腹をくくらねばならない。
■唸声写真/アラーの山羊
http://www.dailymail.co.uk/news/article-2223935/Eid-goats-selling-128-000.html
山羊の腹の模様がアラビア語のアラー、1648万円の値がついている。神の子羊はあっても神の子山羊は聞かないなぁ。
■今週の気になるニュースは
◇映像/強盗だ金を出せ!小便洩らした被害者、財布もオシッコに濡れて
http://datefile.iza.ne.jp/blog/entry/2908616/
チャップリンの無声映画を見ているようだ
◇キルギス:「汚職プリンス」前大統領の息子逮捕、弟も国際指名手配!
http://datefile.iza.ne.jp/blog/entry/2908516/
韓国と同じだ
◇映像/中国:包丁男、妊婦と一歳児をメッタ斬り<閲覧注意>
http://datefile.iza.ne.jp/blog/entry/2908170/
中華包丁で何度も斬りつける男、市民からボコボコにされる
◇映像/米国:銃で作るハロウィンかぼちゃ?!
http://datefile.iza.ne.jp/blog/entry/2907679/
銃もハロウインも日本には縁がない
◇米国:オバマ大統領より目立つ小学生のキス!
http://datefile.iza.ne.jp/blog/entry/2907704/
大統領もお株を奪われた
◇映像/米国:NYのCANNIBAL COP=食人警官、女性を誘拐して食う?!
http://datefile.iza.ne.jp/blog/entry/2907476/
誘拐した女性を生きたまま弱火で焼く・・・
◇中国:南京の女子大生、門を越え損ねてアゴにグサリ!<閲覧注意>
http://datefile.iza.ne.jp/blog/entry/2906761/
想像しただけだとよく分からないが写真を見れば納得
◇映像/仲井間琉球王の行き過ぎ!「琉米間」ってなんだ?!
http://datefile.iza.ne.jp/blog/entry/2906497/
リュウベイ間なる言葉を作り、独立意欲満々の仲井間知事
◇ブラジル:20歳の生娘オークション、78万ドルで落札
http://datefile.iza.ne.jp/blog/entry/2906523/
売る方も買う方も情けない。落札者Natsuは本当に日本人か?
◇カンボジア:社員が働かず、前国王の写真を破った中国人管理職の顔
http://datefile.iza.ne.jp/blog/entry/2906149/
この女性には執行猶予付き禁錮3か月、罰金約4万円の判決
◇竹島のグーグルマップの表記、日本版と韓国版、英語版も
http://datefile.iza.ne.jp/blog/entry/2905869/
Takeshima、Dokdo、Liancourt Rocks
◇映像/米国:売春ダンススタジオと21名の顧客名簿公表
http://datefile.iza.ne.jp/blog/entry/2905823/
人口1万人の小さな町での出来事、お客さんは150名以上・・・
◇中国:道路の下から大量の泡が出た!
http://datefile.iza.ne.jp/blog/entry/2905585/
泡の正体はエアモルタル、地下鉄工事で使われていた
◇中国:鬼城=ゴーストタウン、オルドス写真集
http://datefile.iza.ne.jp/blog/entry/2904795/
開発業者の自殺相次ぐ
◇中国:深センの立ち退き拒否ビル、2000万元≒2億5千万円でもダメ
http://datefile.iza.ne.jp/blog/entry/2904800/
駅前の一等地だが、19年前は線路もなければ畑もなかった
◇映像/恐怖のエレベーター、床が抜ける瞬間?!
http://datefile.iza.ne.jp/blog/entry/2904533/
踏んでも大丈夫な頑丈な液晶ディスプレイ
◇中国:羅刹女の彫刻の一部分はピッカピカ!
http://datefile.iza.ne.jp/blog/entry/2903823/
トルファン火焔山に相応しくない彫刻
◇映像/米国:スーパー・グルー・ママ(接着剤)とホット・ソース・ママ
http://datefile.iza.ne.jp/blog/entry/2903795/
接着剤で子どもの手を壁に貼り付けた虐待母に99年の禁固刑
◇米国:エステサロンで乱射、死傷者女性7名、犯人は自殺
http://datefile.iza.ne.jp/blog/entry/2903577/
凶悪な顔はしていないが・・・
◇中国:五星紅旗バーキン
http://datefile.iza.ne.jp/blog/entry/2903236/
本物だが趣味は悪い
◇中国:石炭火力発電所反対で住民と警察が衝突
http://datefile.iza.ne.jp/blog/entry/2902889/
火力でこれなら、原発はどうなる???
■唸声雑学/アンネナプキンから51年
アンネナプキンが発売されたのは昭和36年(1961)11月11日、当時のキャッチフレーズは「40年間お待たせしました」である。この40年とは何かをウィキでは、「『アンネの日記』の著者アンネ・フランクが初潮を迎えたときから40年が経過していたことから、こう付けられた」とある。
友人に話したところ、アンネ・フランクは一体いつ生まれたのか?これはおかしいと即座に答えが返ってきた。彼女は1945年頃、15歳で亡くなっているので、まさにこれはあり得ないのである。
正解は1921年(大正10年)に米国でコーテックスと言う使い捨てナプキンが使われており、それに遅れること40年と言うことなのだ。
なお、アンネは平成5年(1993)にライオンに吸収合併され、平成14年(2002)にナプキン部門をユニチャームに売却している。
12枚で100円、昭和36年の物価は、そば40円、教員の初任給11400円の時代、現在はユニチャームのソフィ12枚で定価466円を市場価格262円なので、随分安くなった。
■唸声映像/エジプトの盲人少女室内管弦楽団
メンバーは譜面も指揮者も見ずに、指揮者は式台を叩いて指揮をする。少女とは思えないかつて少女も・・・
■誕生日の音楽映像/ドミトリー・ボルトニャンスキー
ウクライナ人作曲家 1751/10/28~1825/10/10
◇写真はドミトリー・ボルトニャンスキーの肖像画/MuzRukより
http://muzruk.info/wp-content/uploads/2009/04/bortnyanskiybig.jpg
◇映像はD.S.Bortniansky: Song of Cherubins No.7
この曲は合唱聖歌コンチェルトと呼ばれるものでロシア正教やウクライナ正教で歌われることが多い。
ドミトリー・ボルトニャンスキーはヘーチマン国家・フルーヒウ市のウクライナ人聖職者の家に生まれる。7歳のときにロシア帝国のサンクトペテルブルクの宗務局宮廷礼拝堂に送られる。同地でイタリア人の宮廷楽長で、1765年から1768年まで宗務局礼拝堂の指揮者であった、バルダッサーレ・ガルッピに音楽を学ぶ。宮廷で教育を受けたため、母語のウクライナ語やロシア語のほか、イタリア語、フランス語、ドイツ語にも堪能であった。1769年にボルトニャンスキーはガルッピを追ってイタリア入りし、オペラ創作を学ぶ。同地でオペラ作曲家としてかなりの成功を重ね、《クレオンテ Creonte 》(初演:ヴェネツィア、1776年)や《5人目のファビウス Quinto Fabio 》(初演:モデナ、1778年)、《アルチーデ Alcide》(初演:ヴェネツィア、1778年)などの歌劇が上演された。1779年にサンクトペテルブルクに戻り、1779年に生粋のロシア帝国出身者として初めて宮廷楽長職に採用された。サンクトペテルブルクでは少なくとも4度、フランス語オペラを作曲しており、クラヴサンのためのソナタや室内楽曲も作曲した。
しかしボルトニャンスキーの歴史的重要性は、40曲以上にのぼる合唱聖歌コンチェルトの作曲家としてである。ボルトニャンスキーがロシア正教会のために作曲したロシア語の奉神礼音楽は、同時代の西欧の機能和声法に基づく調性音楽と、西欧に伝統的な対位法、ヴェネツィア楽派の伝統である分割合唱様式を取り入れている。このため、正教会の伝統に立つ向きからは、ボルトニャンスキーの作風はあまり評価されなかったが、しかしながら同時代では人気があり、いくつかの宗教曲はアトス山においてもロシア人修道士により朗々と歌われたといわれている。
ボルトニャンスキーの奉神礼音楽は1882年になってチャイコフスキーにより校訂され、10巻の曲集として出版された。チャイコフスキーの祝典大序曲《1812年》の序奏は、ボルトニャンスキーの合唱聖歌コンチェルトの一つから旋律が取られている。
ボルトニャンスキーはペテルブルクで逝去し、同地のアレクサンドル・ネフスキー修道院に埋葬された。
ボルトニャンスキーが作曲した讃美歌《コリ・スラーヴェン Коль славен》は、1917年のロシア革命になるまで、モスクワのクレムリンのカリヨンによって、毎日正午に演奏された。《コリ・スラーヴェン》の旋律はフリーメーソン会員の間で親しまれ、英語圏では「ロシア」「セイント・ピーターズバーグ」「ウェルズ Wells 」の名で、ドイツ語圏ではゲルハルト・テルシュテーゲンGerhard Tersteegen の歌詞付けによる合唱曲や軍歌「偉大な軍楽儀礼 Großer Zapfenstreich 」として、知られていた。
日本では、日本ハリストス正教会に所属する教会のいくつかでボルトニャンスキーの奉神礼曲「ヘルヴィムの歌」がしばしば歌われ、親しまれている。-ウィキより-
■身辺雑記/ハナミズキの赤い実
街路樹をよく見てください。ハナミズキの実が赤くなっています。美味しそうですが、とても苦くてまずいようです。今から100年前にワシントンに桜が送られ、その返礼として、今年から3年かけて3000本のハナミズキが米国から日本に送られてきます。第一便は11/16、代々木公園に植樹されます。
************週刊AWACS編集室***********
***転送自由-但し転載は唸声・週刊AWACSと明記のこと****
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