★週刊AWACS 2013年10月6日(その1)

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37年前、昭和51(1976)106日、四人組逮捕、文革の終結

 
写真は裁判を受ける「四人組」/BackChinaより、左から張春橋、王洪文、姚文元、江青

http://www.backchina.com/portal.php?mod=view&aid=198359

 

判決は

・江青:容疑を全面否認し、1981年に死刑判決(後に無期懲役に減刑)。1991年、自殺。

・王洪文:容疑を全面的に認め、1981年に無期懲役判決。1992年、病死。

・張春橋:黙秘を貫き、1981年に死刑判決(後に懲役18年に減刑)。2005年、胃癌のため死去。

・姚文元:容疑の一部を認め、1981年に懲役20年判決。2005年、糖尿病のため死去。

 

この文革により、数千万人が犠牲になったと言われている。南京大虐殺が30万人などとデタラメな数値で日本を責めているが、文革での犠牲者は公開されていない。反日教育の邪魔になるだけでなく、中共自体の存続が危ぶまれるからである。

 

こんな文革を朝日新聞は当初礼賛し、実態を伝えていなかった。そんなことをすれば、この国から締め出されてしまうからである。こんな時に本多勝一の「中国の旅」が出版された。推して知るべしである。

 

 

■唸声一言/日本が攻撃能力を持つことは米国の国益に反する?

≪敵基地攻撃能力を含め日本が攻撃力を持てば、中国だけでなく米国の同盟国である韓国との関係悪化にもつながりかねない≫と米国は考えていると朝日新聞は書いている。

 

しかし、関係悪化と言うが、これも一方通行の関係悪化であり、関係悪化の理由もコジツケに過ぎない。しかも、中国も韓国も敵基地攻撃能力を持っている。裸同然は日本だけ。米国は日本を離したくない思いと独立して欲しい思いが錯そうする。金がなくなればなくなったで、日本の金をあてにして、守ってやるから金寄越せとなる。ヤクザと同じだ。

 

ヤクザと考えれば、直参が力を持ち過ぎれば、トップを狙われるから、強い攻撃力は持たせたくないと考える。なによりも、先の大戦の特攻攻撃を米国は恐れている。

 

我が国が強い攻撃力を持てば、中韓の反発は一時的なものになり、バカみたいな挑発は無くなる。これが抑止力である。中韓や朝日新聞が寝言のように言うアジアの反発などありえず、アジアは日本の軍事力強化を中国の脅威から解放として安心するであろう。日本も含めてアジアは米国の混乱を心配している。そんななかで、オバマのフラツキを中国は手を叩いて喜んでいる筈だ!

 

 

■今週の生物/タンザニア ナトロン湖、石化する鳥たち
 

http://www.liveleak.com/view?i=841_1380731869

写真は石化した鳥/LiveLeakより、この写真はまるで現代アートのような作品だ。ナトロン湖は塩と苛性ソーダが多く含まれており、PH9から10.5と異常に高い。この写真を撮ったNick Brandt氏によれば、コダックフィルムの紙箱をこの湖に浸けると数秒で印刷されたインクが溶け出すと言う。鳥たちが死んだ理由は分からないが、湖畔で拾った鳥たちを生きていたようにポーズをさせて写真を撮ったと言うので、やはり現代アートかな。いずれにしても、過酷な環境であり、魚も一種類のみしか生息していないとか。但し、ここは世界有数のフラミンゴの繁殖地である。天敵がいないことも幸いしているようだ。

 

ディズニー/フラミンゴに隠された地球の秘密

http://youtu.be/a8tKgBHFSVQ

 

 

■誕生日の音楽映像/エトヴィン・フィッシャー

スイス出身のピアノ奏者、1886/10/61960/1/24
 

写真はエトヴィン・フィッシャーとフルトベングラー/ロシアサイトより

http://propianino.ru/edvin-fisher-dobryj-xudozhnik-muzyki

 

音楽はブラームス/ピアノ協奏曲第2番 第三楽章1942/11

http://youtu.be/Ek45BNZsy90

 

指揮/フルトベングラー

ピアノ/エトヴィン・フィッシャー

チェロ/アルトゥール・トレスター

ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

フィッシャーとフルトベングラーは同い年の親友で1919年~1953年まで50回以上共演している。1919年の一番初めに共演したのがこの曲で1953年の最後もこの曲であった。この曲はラフマニノフの第三番と並んでピアノ協奏曲の難曲である。

 

エトヴィン・フィッシャーはバーゼル生まれ、同地でハンス・フーバーに師事、1904年にベルリンに移り、シュテルン音楽院でマルティン・クラウゼに学んだ。したがってクラウディオ・アラウとは同門ということになる。翌年には早くも同校の教授となり、1914年まで勤めた。後にはベルリン高等音楽院の教授にも就任している。

 

指揮者としては、1926年リューベックの管弦楽団、1928年からはミュンヘンのバッハ協会を指揮、さらに自ら室内管弦楽団を結成しその指導にあたり、協奏曲の演奏では独奏を兼ねながら指揮をする、いわゆる「弾き振り」と呼ばれる演奏習慣を復活させた。1942年には母国に帰り活動を続け、ヘルテンシュタインの自宅で73年の生涯を閉じた。

 

同時代の音楽家とも深い交友関係を持ち、ピアニスト仲間のアルフレッド・コルトーやヴァルター・ギーゼキングとは相互に信頼と尊敬を抱く仲だった。指揮者のヴィルヘルム・フルトヴェングラーも親友であり、共演を重ねた。ヴァイオリニストのゲオルク・クーレンカンプとチェリストのエンリコ・マイナルディとはトリオを結成、クーレンカンプ没後はヴォルフガング・シュナイダーハンが加わった。

 

フィッシャーは、良きヨーロッパの伝統を20世紀に伝えた存在であった。温かく、心のこもった内面的な演奏は深い音楽性を湛えていた。技巧的な問題点を指摘されることもあったが、楽曲の本質的な精神を把握することにかけては無類の存在であって、非常に高い尊敬を集めた。ヨハン・ゼバスティアン・バッハの演奏では同時代の第一人者で、『平均律クラヴィーア曲集』の全曲録音を1933年から1936年にかけて、世界で初めて行った。その他、ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト、ベートーヴェン、フランツ・シューベルト、ヨハネス・ブラームスなどのドイツ古典音楽を得意としていた。

 

フィッシャーは、オーケストラを前にしてハイドンかモーツァルトの交響曲を1曲を指揮し、2曲の協奏曲で前述の通り指揮と独奏を担当するというプログラムのコンサートをしばしば行ったが、1938年から戦後にかけてザルツブルク音楽祭でのウィーン・フィルとの共演は音楽祭の恒例行事となった(録音や映像も残されている)。フィッシャーは人間的にも音楽的にもウィーン・フィルのメンバーを魅了し、音楽することの大いなる喜びを与えたという。

 

教育者としても豊かな素質・人間性を持った傑出した人物で、パウル・バドゥラ=スコダやダニエル・バレンボイム、アルフレート・ブレンデルなど数多くの名ピアニストを育てたことでも知られている。

 

著作の訳書に『音楽観想』(佐野利勝訳、みすず書房「みすずライブラリー」 1999年)がある。―ウィキより―

 

 

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コメント(2)

TITLE: 1. 無題
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この朝日新聞ってつまるところ弱きにゃ強いが強きにゃ弱い じゃ無いでしょうか 今反日なのは政府が弱いと見てるかも?それから本多勝一
極めて無責任な記者ですね 言うことは責任逃ればかり・・・

TITLE: 2. Re:無題
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>恍惚の人さん、どうも

.>弱きにゃ強いが強きにゃ弱い
まるで、中国そのものですね。それにしても無責任なメディアです。

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唸声


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このページは、唸声が2013年10月 6日 05:15に書いたブログ記事です。

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