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写真はまるで天狗のように山を駆け下り千日回峰を続ける酒井雄哉師/YouTubeより、比叡山焼き討ち以降の442年間で二度の千日回峰行を満行したのは三人だけ、千日回峰行の満行は天台宗で47名、戦後で12名と厳しい修行である。酒井雄哉師は昭和48(1973)~昭和55(1980)に一度目の千日回峰行を満行、半年後の昭和56(1981)~昭和62(1987)に二回目の千日回峰行を満行されている。平成25(2013) 923日に歯肉ガンでお亡くなりになったが、仏様になっても、山を天狗のように駆け下りているのだろうか?
http://youtu.be/SKcie3yOZ0I 

 


【読売9/24-「千日回峰」2度…大阿闍梨、酒井雄哉師が死去】

 天台宗総本山・比叡山延暦寺(大津市)に伝わる荒行「千日回峰(せんにちかいほう)」を2度達成した大阿闍梨(だいあじゃり)、酒井雄哉(さかい・ゆうさい)師が23日、歯肉がんで死去した。87歳。

 

 延暦寺一山(いっさん)葬は27日午後0時30分、大津市坂本6の1の17生源寺(しょうげんじ)。喪主は弟子の藤波源信・大阿闍梨。自坊は同市坂本本町4239、延暦寺一山長寿院。

 

 大阪市生まれ。39歳で得度した。54歳だった1980年には、地球1周にあたる約4万キロを7年かけて歩き、このうち9日間は不眠・断食で真言を唱え続ける荒行「千日回峰」を達成。記録の残る織田信長による比叡山焼き打ち(1571年)以降では、最高齢で「大阿闍梨」となった。60歳の87年には2度目も満行。3人目の快挙で、生き仏とたたえられた。

 

『千日回峰行は7年間かけて行なわれます。1年目から3年目までは、1日に30キロの行程を毎年100日間行じます。定められた礼拝の場所は260箇所以上もあります。4年目と5年目は、同じく30キロをそれぞれ200日。ここまでの700日を満じて、9日間の断食・断水・不眠・不臥の“堂入り”に入り、不動真言を唱えつづけます。

 6年目は、これまでの行程に京都の赤山禅院への往復が加わり、1日約60キロの行程を100日。7年目は200日を巡ります。前半の100日間は“京都大廻り”と呼ばれ、比叡山山中の他、赤山禅院から京都市内を巡礼し、全行程は84キロにもおよびます。最後の100日間は、もとどおり比叡山山中30キロをめぐり満行となるものです。』-天台宗サイトより-

 

一日に84km1時間に4km21時間もかかり、寝る時間は2時間くらいか?まさに飛ぶように山を駆け下りないと一日に84kmは歩けない。それが100日間も続く、雨が降ろうと嵐が来ようと、毎日続けられる。体力もだが気力もなければ、続けられない。

 

 

唸声


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