■唸声台湾/テレサテン逝去から12年、同棲のフランス男は音信不通

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【大紀元日本7/1-テレサ・テンの元彼、10年間墓参りせず】

「アジアの歌姫」と呼ばれるテレサ・テンは1995年に亡くなってからすでに12年がたったが、依然として多くのファンはテレサのことを忘れることはない。テレサのストーリーを再現するミュージカルに出席するために、唯一の弟、テレサ・テン文教基金会執行長の鄧長禧氏は四川省重慶市を訪ねた際、メディアのインタビューに応じた。

 

 出棺日、彼氏は泥酔

 

 テレサ・テンが発病したときに、付き合っていた14歳年下のフランス人ステファン・ピエールが留守だったため、テレサ・テンの治療が手遅れた。テレサ・テンが亡くなってから、テレサ・テンの兄はピエールに対して、憎しみを抑えられずに、殴りかかりそうになったという。これに対して、弟の鄧氏は、兄をなだめたという。「自分はそこまで思ってはいないが…」とコメントした。

 

 出棺の前、兄はピエールの出席を阻止したが、最終的に、弟の鄧氏の説得で家族はピエールの出席を許したという。しかし、出棺当日、ピエールは現れてこなかった。鄧氏はポールの宿泊先のホテルに連絡を取り、ホテル側に部屋をチェックしてもらうことにした。結局、ホテルのマネージャーから、ピュエールは泥酔状態との連絡があったという。

 

 数年間音信不通、彼には恨みはない

 

 テレサの死後、ピエールはテレサが持っていた香港の別荘に2年間住んでいた。鄧氏はピエールのために、管理人を雇い、世話をさせた。勿論、費用はすべてテレサの遺産から支払われた。その後、鄧氏はピエールと長時間にわたり話し合った。鄧氏はピエールに対して、「君はまだ若いし、自分の歩むべき道を歩まなければならない…」と諭し、ピエールは最終的にフランスへ戻った。その後数年間は、鄧氏と連絡を取り合っていたが、徐々に連絡が途切れがちになった。記者は「ピエールは、お墓参りに戻ったことがあるのか」の質問に対して、鄧氏は「戻って来たことはない」と答えた。

 

 ピエールについて、鄧氏は恨んではいないとし、「少なくとも、姉と楽しい時間を分かち合っていた」とコメントした。

 

◇唸声コメント

6/2、テレ朝で「私の家は山の向こう―テレサ・テン十年目の真実」が放送された。出演者がフランス人役のピエールを除き全て日本人だったのが印象的、但しロケは全て現地。我がままなピエールの様子が良く分かった。スーパースターとしてテレサ・テンを扱わなかったことが彼女には気楽だったのか?

 

出棺日に泥酔とはピエールらしい分かれ方だ。ドラマではテレサ・テンの兄が葬儀の際にピエールに殴りかかるシーンがあったが、泥酔シーンはなかった。彼女は喘息の発作で亡くなったことになっているが、謎も多い。

 

そんな中で仰天話がネットにあったのでご紹介しよう。

【ネットゲリラ6/6-テレサテンは生きている】

http://my.shadow-city.jp/?eid=444288

信じるか信じないかはご自由に。折しも香港返還10周年、テレサ・テンがもし生きていたとしてもまだまだ出てこられないかなぁ。

 

◇参考/香港返還10周年写真

http://photo.chinatimes.com/photofile/newsweb/960630Photo.htm#3

http://www.cnhubei.com/images/200705/hb-2007070101-2.jpg

http://photo.chinatimes.com/photofile/newsphotob/96070105kb.jpg

アレ、大仁田議員が暴れている? んな分けないか。何故、大仁田議員か?私の家は山の向こうの原作者のジャーナリスト有田芳生氏が参議院議員にご登場ってな訳。

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唸声


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このページは、唸声が2007年7月 2日 00:56に書いたブログ記事です。

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