■唸声トラック/遺骨が観光の目玉?島の先代は嘆いていないか?

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写真左は日豊丸、右はチューク州フォトギャラリーより

http://www.trukstophotel.com/

http://www.visit-micronesia.fm/j/chuuk/gallery.html

 

9/16、産経新聞の朝刊一面「日本兵遺骨、見世物に」にギクリとした。トラック諸島の沈船ダイビングのことは聞いていたが、『ガイドたちがいくつかの沈船に自分だけの遺骨の隠し場所をつくっている』と書かれていたことには、言い知れぬ怒りがこみ上げてくる。

 

まさか日本人ダイバーが嬉々として、そうした遺骨を見に行くとは思えないが、欧米人ダイバー達は喜んでチップを払うと言う。見るほうも見せるほうにも腹が立つ。

 

先週、インカの少女のミイラが取り上げられたが、公開に反対する人々の気持ちが良く分かる。これが白人種であるならば、どうであったのか?人権、人権とうるさく言いながらも白人優位の意識がこんなところにも見え隠れする。それに尾を振る非白人がいることも空しい。

 

トラック諸島、ゆかりの日本人


写真左は、プロ野球選手の相沢進投手、1957年現役引退後はトラック島へ帰り、酋長となり、36名の酋長会議議長となる。1930年、水曜島で酋長の娘リサと日本人相沢庄太郎との間に生まれる。


写真左中は、2006413日、千葉マリンスタジアムでの相沢進氏。同年518日死去、享年75


写真右中は、森小辯氏、明治25年にトラック島に渡り、対日貿易で儲け島へ還元、後に水曜島の酋長となる。「冒険ダン吉」は彼がモデルと言われる。その後、直系の子孫だけでも千人は超えると言う。モリファミリーには皆小辯氏の写真が飾られている。相沢進氏も水曜島の生まれ、歴代の酋長として密接な関係にあったと思える。現地の政治家よりも酋長の方が大きな実権を持っている。


写真右は、ミクロネシア連邦のエマニュエル・マニー・モリ現大統領。モリファミリーの一員。森小辯氏と写真を並べてみると何となく雰囲気が似ている。日本語は挨拶程度しか話せないとのこと。


戦前はミクロネシアに85000人もの日本人がいたと言う。モリファミリーだけでなく、今も多くの日系人がいる。遺骨の問題は現地の経済と直結するのかもしれないが、日本人の血が流れているのであれば、どうすべきかは分かる筈だ。

 

トラック諸島出身のモリ大統領は遺骨問題をよく知っている筈である。駆け引きはしてもらいたくないが、日本政府とミクロネシア連邦政府で遺骨問題を一気に片付けてもらいたい。どんな理由があろうが、遺骨を観光資源にするのは間違っている。

 

◇沈船マップ-英語-

http://rananim.com/truk_divespots.php

 

◇参考サイト/トラック諸島に沈む日本の艦船↓22年前にも遺骨収集が行われていた。

http://cb1198f.web.infoseek.co.jp/dive_truk.htm
『日本から、南東に遠く離れたトラック諸島、今は知る人の少ないこの島々は、かつて大日本帝國の信託統治領であり、太平洋戦争当時は帝國海軍の最大の策源地でありました。隆起したサンゴ礁に囲まれた世界最大の礁湖は水深も浅く、波も静かで、対米戦の軍港としては最適であり、戦艦大和、武蔵以下、多くの海軍艦艇がここに集い、あるいは出撃して行きました。第一次世界大戦後、日本の信託統治領となったトラック諸島等、南洋の島々に、日本は学校を建て、多くの人に学ぶ機会を提供し、産業を興し、文化の風を吹き入れました。更には、島の人々が希望したキリスト教の教会を建て、信仰を尊重しました。戦前、日本がどのような統治をしていたかを詳しく調べる事は、私には出来ませんでしたが、トラックの年配の方々、大勢から、日本統治時代には希望を持って働いていたこと、戦争当時は軍属として一生懸命、日本軍に協力したこと、敗戦は悔しく、残念だったこと、これらとは反対に、その後のアメリカの統治時代には、若者たちが希望を持って働けなくなったこと、「長幼の序」等の美徳が消え失せてしまったこと等を聞かされ、日本の統治の理念は、欧米のそれよりも優れていたのではと思いました。トラック島の方から、靖国神社を参拝した時の写真を数葉見せていただきました。その中の一枚、大鳥居をくぐる前、その下で式服に着替える様子を写した写真に強く感動しました。この写真が撮られた時、着替えている様子を見た人は滑稽に感じたかもしれません。しかし、人になんと思われようとも、英霊に祈りを捧げる前に、身を整えるようとする気持・・・。私は「凄まじい!日本人以上だ!」と思いました。昭和19年2月、トラックは米第57機動部隊の艦載機の空襲を受け、多くの艦船が沈みました多くの方々が船と一緒に海の底に没したのですが、戦後、長い間忘れられておりました。その間、これらの方々の御遺骨は欧米のダイバー達の興味の対象となっていました。ただ、一部の日本人ダイバー達とトラック島のダイバー、キミオ氏だけが時々訪れて花を手向け、手を合わせていたのでした。戦後、40年経って(私がトラックで潜水していた1985年頃)、生き残りの方々と御遺族の御努力で、一部の船から遺骨収集が行われることになりました。しかし、引き揚げの決定までには、観光の目玉になっていた遺骨の引き揚げに反対するグループと、引き揚げに賛成するグループの間には激しい対立が有ったと聞きました。この間、キミオさんは引き揚げが実現するよう、一生懸命に努力してくださったそうです。私がトラックに行くのを止めて20年になります。その間、キミオさんは亡くなりました。日本を慕って下さった方々の多くも、トラックの土に返ったかもしれません。海底の船達も海水に痛められ朽ち果てようとしているそうです。引き揚げられる事のなかった御遺骨達は、生まれ、育ちも判らないままに国に命を捧げ、日本に帰れぬまま…錆びた鉄と一緒にトラックの海底の砂に埋もれて行くのかもしれません。このページを御覧になった方はトラックの海底に眠る方々の事を覚えていて下さい。遠く離れた南の島に、強く日本を愛し亡くなられた方々が今も故国の土を踏む事無く沢山海底に眠ったままでいると云う事も、またトラックの方々がこうした方々を追悼し拝んでくれた事を覚えておいて頂きたいと思います。最後になりましたが、私に意見を述べる機会を下さった憂国烈士様に心から感謝申し上げます。』200546日 元ダイバー


◇ミクロネシア基礎情報↓外務省

http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/micronesia/data.html

 

 

 

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このページは、唸声が2007年9月17日 00:00に書いたブログ記事です。

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