写真はジョン万次郎が暮らした屋根裏部屋、ホイットフィールド船長宅の3階部分
【毎日1/15-ジョン万次郎:米で滞在の家、記念館に 有志が発起人会】
江戸時代末期、日本人で初めて米国に渡ったジョン万次郎(中浜万次郎)が滞在した家が、米マサチューセッツ州にある。この家屋を記念館として残そうと、聖路加国際病院(
ジョン万次郎は1827年、土佐で生まれた。漁に出て漂流し米国捕鯨船のホイットフィールド船長に助けられ、1843年に米国に上陸し、同州フェアヘブンの船長宅で暮らした。そこで学校に通い知識を身に着け帰国し、日本の近代化に貢献した。
船長宅は木造2階建て。老朽化で競売にかけられると知った米国の弁護士が住宅を購入し資料館にしようとしたが、体調を崩し計画が頓挫。いきさつを知った万次郎の子孫で医師の中浜博さん(79)が日野原理事長に相談したことなどをきっかけに、記念館開設に向け募金を募ることになった。購入、修繕後は非営利団体などに寄付する予定だ。
発起人会には日米協会会長の大河原良雄・元駐米大使や尾崎正直・高知県知事のほか、作家の瀬戸内寂聴さんら著名人も参加。日野原理事長は「万次郎の暮らした家は日米友好の原点。その歴史を若い人に残すためにも、ぜひ多くの人に募金に協力してほしい」と話している。募金の問い合わせは記念館開設募金事務局(03・3265・1907)。【桐野耕一】
◇唸声コメント
米国のグリーン弁護士が40万ドルを募集したものの思うように集まらず売りに出したもの。いつまでも若い日野原さんが出てくれば、すぐに8000万円は集まるであろう。その頃にはグリーン弁護士も復帰するだろうなぁ。米国人には関心がないようだが、日本人には大切な歴史の一頁である。
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