写真は井戸に集まる北青の水売りたち/韓国サイトより
http://victorio.egloos.com/849407
チゲと呼ばれる背負子に天秤棒を通して担いでいる。
やがて木桶からブリキ缶に変わる
【IZA12/18-【外信コラム】ソウルからヨボセヨ北朝鮮“水商売”の誇りは 朝鮮学校支援】
水道が発達していなかった昔のソウルに、水をてんびんで担いで売り歩く“水商売”があった。このしんどい水売りを「プクチョン(北青)水売り」といった。「北青」とは朝鮮半島北部の咸鏡南道北青郡の地名。ソウルの水売りにはこの地方からの出稼ぎが多かったため、水売りの代名詞になった。
彼らは仕事熱心でガマン強く、苦労しながら子供に勉強させる人が多く、街の人から信用された。朝鮮半島の北は南に比べ山が多く気候は厳しい。だから李朝時代の貴族支配階級にあたる「ヤンバン(両班)」も北には少なかったという。しかしソウルには北出身のこじきはいなかったという。貧しくても努力しガンバって生活する人が多く「北青水売り」はその象徴だったのだ。
今、日本で北朝鮮系の朝鮮総連の高校への授業料無償化が問題になっている。日本政府が朝鮮高校にも国家予算を使って支援すべきかどうかの話だが、日本での反対論に対し朝鮮総連も北朝鮮当局も不満が強く、非難を繰り返している。
しかし彼らの学校は北朝鮮の“公民”に対し「民族の誇りを教える民族教育の場」だったはず。なのに対北経済制裁までしている憎き(?)日本政府に支援を求めている。「北青水売り」の気概、誇りを思い出しているところだ。(黒田勝弘)
「北青の水売り」が有名になったのは、彼らが仕送りをして育てたイ・ジュオクが京城帝国大学文科甲類に合格したと新聞紙上に報道されたことにある。
韓国では日帝時代と必ず記されるのであるが、こうした記事で北青の水売りが有名になったのは、当時の帝国大学が以下に難関であり、民衆の羨望の的であったことが分かる。
彼らは自分の子供だけでなく、四等親にまで水売りをして、教育援助をしていた。後には組合をつくり、咸鏡道の北青の子供たちを合宿所で教育をしたと言う。子供たちは無料で教育を受け、食事を供給された。
そのためか、彼らは目の前に出されたものを全て平らげたと言う。日本では当たり前の話だが、朝鮮では出された食事を全て平らげてしまうのは、まだ足りないことを表すので、残すのが礼儀とされている。今でも食事を残さず食べる人のことを「咸鏡道北青の水売りみたいだ」と言うらしい。
朝鮮が日本の帝国大学に憧れていたこと、このことだけでも今の反日姿勢は全く理解できない。また、普段から民族の誇りや矜持を口にし、日本をことあるごとに敵対視する朝鮮は矛盾大国、北青の水売りの教育援助と朝鮮高校への教育援助と比較して考える黒田氏の意見は尤もである。
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