写真はラワジード村での犠牲者数、1947/12/9-431名、1948/1~10-35名、1950/7~11-17名/YouTubeより(ラジオ・オランダ・ワールドワイド)
以下はアルジャジーラ英語版より
9月14日、オランダのハーグ裁判所は、1947/12/9のインドネシアでのオランダ軍の村民虐殺事件の遺族らに損害賠償金を支払うようオランダ政府に命じた。犠牲者数に関しては、双方の食い違いはあるが、今後詰められていく。
1947年は日本が第二次大戦に敗戦してから2年後となり、インドネシア独立戦争のさなかの出来事である。1945年、インドネシアは日本軍降伏後、独立宣言をしたが、オランダが再植民地化しようと再び、インドネシアに乗り込んできたのだ。この時点で、オランダと言う国のありようが分かる。このさもしい国に対して、義侠心にかられた数千人の日本兵は帰国せず、インドネシア独立派に加わる。
このラワジード村虐殺事件もスカルノ政権が抑えて、その後の外交に利用した可能性もある。デビ夫人のブログにどう出てくるのか楽しみである。
さて、このハーグ裁判所の判決であるが、反日弁護士は色めきたっているに違いない。現在の国家感のない政府ゆえに大変心配である。
【IZA9/15-オランダ政府に賠償命令 インドネシアでの虐殺で】
オランダ・ハーグの裁判所は14日、オランダ軍が1947年にインドネシアの村で起こした虐殺事件について、オランダの非を認め、犠牲者の遺族に賠償金を支払うよう政府に命じる判決を言い渡した。
オランダ政府は虐殺の事実は認め、遺憾の意を表明しているが、賠償については時効だとして拒否していた。
欧州メディアによると、判決は「オランダ国家は虐殺という過ちを犯した。時効を理由に賠償を拒否するのは受け入れられない」と批判した。
原告側弁護士は、今後は賠償金額を詰める作業に入るとしている。
虐殺事件は47年12月、ジャワ島西部のラワジード村で起き、オランダ軍が住民ら多数を殺害した。犠牲者の遺族らは2008年にオランダ政府を相手取り賠償請求訴訟を起こしていた。(共同)
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