写真は乃木希典大将とステッセル将軍の「水師営の会見」/YouTubeより
以下はアカデミー賞受賞の映画「アーティスト」予告編
カラーよりもモノクロ、トーキーよりもサイレントの方が想像力を掻き立てますね。これからの映画は見たままではなく、見た人によってそれぞれの見方ができるようにした方がいいのかもしれません。映画は監督の押し付けではなく、想像力を刺激するものに変わるのでしょうか?
メディアもウソの押し付けではなく、視聴者に判断させるものにしてもらいたいですね。ただ、想像力を刺激すると隣国のようにそれが妄想に代わり独自の結論を導き出してしまうのも怖いものですが・・・。
【IZA2/29《産経抄》2月29日
日本で映画が大衆化するのは、日露戦争のころだった。国の存亡をかけた戦いの様子を「実写」した映画が作られた。直接戦争に加わらなかった「銃後」の国民は争うようにそれを見て拳(こぶし)を握った。そこから映画を楽しむ人が増えたのだという。
▼内田百閒の短編『旅順入城式』は、そんな上映会の模様を書いている。ドイツの観戦武官が撮影した映画で、難航を極めた旅順攻略戦や、乃木希典大将とステッセル将軍の「水師営の会見」の場面などが出てくる。終わると「私」もみんなも大粒の涙を流していた。
▼明治37~38年の「実写」だから当然、音声のない映画だったのだろう。だが百閒の耳にはそれが伝わってきたようだ。大砲を山の上に運ぶ兵士たちの喘(あえ)ぎ声や、昼夜を分かたず響きわたる敵味方の大砲の音を、まるで聞いたかのように表現しているのである。
▼戦争の実写という緊迫感がそうさせるのだろう。一方でチャプリンの初期の作品のような無声(サイレント)映画となると、音や声を必要としないほどの演技や演出が観客をひきつける。いまだに無声映画に一定のファンがいるのもそのせいだ。
▼今年の米アカデミー賞に選ばれた「アーティスト」は、そんな無声で白黒の映画だという。落ち目の映画スターを以前世話になった女優が助ける物語だ。大半はいわゆる「口パク」で進行する。だが実際に見ると、何の抵抗もなくストーリーや会話が伝わってくるそうだ。
▼選ばれたのは、無声、モノクロで描かれた「古き良きアメリカ」が郷愁を誘ったためとの見方もあるらしい。だがそれだけではあるまい。すべてが科学技術頼みという現代社会への「挑戦」が評価されたように思えてならない。
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