写真は北京の地下に張り巡らされたトンネル/BackChinaより
http://news.backchina.com/viewnews-193501-gb2312.html
北京主要地区の地下を結ぶトンネルは、ソ連からの核攻撃に備えたシェルターとして、1969年に毛沢東により工事がはじめられた。1969年3月に中ソ国境の珍宝島(ダマンスキー島)で軍事衝突が起こり、核攻撃から身を守るために、北京市民600万人(当時)の40%の240万人が避難することを目的として作られた。
トンネルの全長は30km以上、深度は8~18メートル、広さは85平方キロメートルにも及ぶ。工事は国際情勢の緩和した1979年で終了する。2000年に一部一般公開された。この地下城には店、レストラン、学校、クリニック、閲覧室、工場とローラースケートリンク等を併設していた。また、繁華街では、地下城が安宿として使われ、その他の場所もショッピングやビジネスセンターへ変わった。外国人は地下鉄崇文門駅近くの入口からのみ見学ができる。
この地下トンネルは北京の地下を縦横無尽に網羅しており、写真で見るように「王府井大街」等を結んでいる。北京のにぎやかな街の地下にこうして時間の止まった空間が存在する。きっと平壌も同じようになっているのかもしれない。
2007年に北京政府は地下城の利用制限をし、賃貸等を禁止しているが、一向に効果なく、ここで生活する多くの人たちがいる。この人たちをネズミ族と呼んでいる。
北京にも高層ビルや地下鉄が拡張され、この地下城は建築基準計算などに影響を及ぼしている。そもそもこの地下街自体の安全性にも問題がある。そうでなくても、道路が突然陥没するのが現状であり、地下だけでなく地上の安全にもかかわってくる。中国空洞化で先日も少女が歩いている途中で突然歩道に穴が開き、6mも地下に落ちた。以下はその時の映像↓
何か火事等のトラブルが起これば、北京政府は一気にこの地下城を埋めてしまうであろう。そう、トラブルは地下住民が起こすとは限らない・・・。こわーい!
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