▼唸声の気になる映像/ドイツ:ヒトラーのボディガード死去、96歳、妻はユダヤ人?

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写真はヒトラーとエバ/YouTubeより、後ろの三名がボディガードで今回亡くなったローフス・ミッシュ氏は一番左か?かれらは護衛だけでなく、電話の取次ぎとしての任務もあった。ローフス氏は、ヒトラーの最後は電話をしており、銃声は聞かなかったが、テーブルの上にヒトラーの頭があるのを見たと言う。エバの膝は胸まで引き寄せてあり、白いフリルのついた紺色のドレス姿が忘れなれないとも語った。ローフス氏には娘がおり、母方の祖母が母親はユダヤ人であったと話している。娘はイスラエルで勉強し、建築家としてドイツでシナゴークの再生プロジェクトに取り組んでいる。当然ながら、ローフス氏は妻ゲルダがユダヤ人であったことを認めていない。この時代にヒトラーの護衛の妻がユダヤ人であることはありえない。なぜなら、ユダヤ人と結婚したものは、その伴侶もユダヤ人とされたからである。今では考えられない差別である。但し、イスラムには同じような差別が存在するかな?

http://youtu.be/JLLJZ5isvjE

この写真の原典は以下のカラー写真↓

http://revistainternacionalamazonia.com/revista/media/k2/items/cache/339a0e1449b6b4062056bc300d87e893_XL.jpg

 

以下の映像初期画面は2009年のローフス・ミッシュ氏

 

【産経9/7-R・ミッシュ氏死去 ヒトラーの元護衛】

 ローフス・ミッシュ氏(ナチス・ドイツのヒトラーの元護衛)5日、ベルリンで死去、96歳。DPA通信が報じた。以前から闘病生活を送っていた。自殺したヒトラーの遺体を目撃した最後の生存者だったとされる。

 

 DPAによると、40年からヒトラーの護衛を務めた。ヒトラーが45年にベルリンの地下壕で愛人のエバ・ブラウンと共に自殺し、遺体が焼却された後、ソ連(当時)の捕虜として9年間、抑留された。(共同)

 

以下はローフス・ミッシュ氏について、ウィキより

上シュレージエン地方のオペルン(現ポーランド領オポーレ)に生まれる。父親は第一次世界大戦に出征し、ミシュが生まれる2時間前に戦傷により死亡した。2歳の時に母親も死去して孤児となり、ベルリンで祖父母や叔母に育てられる。はじめペンキ職人となるが、1937年に武装親衛隊に志願して入隊。ライプシュタンダルテ・SS・アドルフ・ヒトラー (LSSAH) 連隊に配属される。

 

ドイツ軍のポーランド侵攻に参加し重傷を負う。回復ののち、上官である中隊長ヴィルヘルム・モーンケは彼を礼儀正しく忠実な兵士と見込んで、ベルリンの総統官邸勤務に推薦した。そこでヒトラーの護衛係となる。その最初の任務は、ウィーンにいるヒトラーの姉パオラに手紙を届けることだった。以後は司令部、別荘、官邸など、ヒトラーの行く先々に常に随行した。ローフス・ミシュはヒトラーにより唯一総統地下壕での武器の携帯を許されており、他は誰であろうとも入口で武器を預ける決まりだった。

 

彼は敗戦まもない総統地下壕に最後まで常駐した数少ない人物で、通信手をしており、真っ先に全文書に目を通すことができた貴重な人物である。ベルリン市街戦のさなかの1945430日にヒトラーが自殺すると、その遺言によりゲッベルスが宰相となった。彼はゲッベルスやその夫人、そして6人の子供たちとも親しかった。そのため戦後、「ゲッベルスの子供たちもナチズムの犠牲者」であるとして、子供たちの追悼施設を造るべきだと主張したため、ホロコースト犠牲者などから非難された。

 

51日、絶望して自決を決めたゲッベルスはミシュに総統地下壕を去るように命じた。ミシュはすでに数日前から脱出に備えて必要な物資をリュックサックに詰めていた。ミシュが去ったのちに総統地下壕に残っていたのは、ゲッベルスと地下壕の空調担当だったヨハンネス・ヘッチェルの2人のみだったという。翌日、彼はソ連軍の捕虜となった。

 

ヒトラーに親しく接していたミシュは、ソ連軍によってルビャンカ刑務所に収容され取り調べを受けた。ヒトラーの自殺を信じていなかったスターリンは、ソ連の捕虜となっていたミシュやオットー・ギュンシェ(ヒトラーの副官)に「真相」を話すよう強要した。9年後にようやくミシュは釈放され、ドイツにいる妻と娘のもとに戻った。戦後は少年期の教育を生かして画家となる。

 

1970年代からドキュメンタリー映画に登場するようになり、特に1990年代以降、ヒトラーや第二次世界大戦に関する番組によく登場していた。2006年にも「最後の証人‐ロフス・ミシュ」と題するテレビ・ドキュメンタリー番組に出演した。同年、1940年から45年に関する回顧録をフランスで出版、世界各国語に訳されており、ドイツや日本でも出版されている。

 

201395日にベルリンで死去した。

 

 

 

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唸声


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このページは、唸声が2013年9月 7日 15:25に書いたブログ記事です。

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