写真は消防防災博物館より 海軍兵学校教育参考館
三十九年前の今日、日本初の超高層ビル・霞ヶ関ビルが完成した。三十六階建て百四十七mで当時日本一を誇った。設計は山下寿郎氏、山下氏は昭和十一年、江田島海軍兵学校教育参考館も建てておられる。
山下氏は明治二十一年四月山形県米沢の教育者の家に生まれた。山下源太郎(築地の海兵第十期生、第二四代兵学校長や、軍令部長等を歴任後男爵)海軍大将の甥にあたる関係で、自身も兵学校を受験したものの、身長足らず、已む無く一高から明治中期の建築家で、米沢出身の伊藤忠太東大教授が山下家と重縁につながる関係で、東京帝大工学部建築家に進学して、建築の道を歩むことになった。昭和五十八年二月没九十四歳。
教育参考館は、「生徒をして帝国海軍の淵源甚だ遼遠なるを知らしめ、且つ先人苦心の跡を味得せしむると共に、身を以て国に殉じたる幾多先輩偉人の忠烈に私淑せしめ、光輝ある帝国海軍の伝統を、永遠に警鐘発揮せしめんがためなり」の主旨が現在にまで生き続けているものと・・・。-季報2001年春号/江田島海軍兵学校教育参考館つれづれ/村瀬光正氏より抜粋-
霞ヶ関ビルは着工時の昭和三十六年の建築基準法では、三十一m九階建てまでが高さの上限、しかし国際収支悪化による金融引締対策により、政府から着工延期が勧告された。その着工延期のお蔭で、昭和三十七年八月に建築基準法が改正、上限撤廃がなされ超高層ビルの誕生となった訳である。そして、日本の建築技術が世界に示された。
今では上海などでも超高層ビルはちっとも珍しくなくなったが、これだけ地震の多い日本での高層ビルは高所恐怖症の唸声にはやはり心配。柳に風とばかり、ユラリユラリ揺れる構造も分かっちゃいるけど不安。
柳に風とはならない中国ではもっと心配、氷を溶かす旅だそうだが、黄砂が強すぎて、紅い中国も茶色に変身中、日本はユラリユラリと耐清構造はよかったが、耐中政策はどんなものか???
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