映画に出るのは大変だ!
写真左は北京映画製作所内、マフィアに棒で叩かれる北漂*1の若者、その後ろはパトカー、右は被害者の筈が公安からも襟をつかまれている。マフィアの方は公安に言い放題で自分の正当性?を喚き立てている。公安はマフィアが棒で若者を叩いているのを見た筈なのに、マフィアは棒を取られただけで、捕まったのは叩かれた若者だった/博訊2009/8/26より
http://news.boxun.com/news/gb/china/2009/08/200908260850.shtml
【北京市海淀区】8月25日午後2時頃、北京映画製作所*2内で若者がマフィアと思しき男に棒で叩かれたが、公安が来て捕まったのは、叩いた方ではなく、叩かれた方だった。警察とマフィアが後ろで手を組んでいるのが分かる。でも、若者は何故、マフィアから棒で叩かれたのか?誰も助ける人間はいなかった。叩かれ損のつかまれ儲け?
北京映画製作所内には老人から若者までたくさんの人がうろついている。それは、映画監督から声がかかるのを待つためだ。声がかかれば、チョイ役でも通行人でも大衆役者としての可能性を秘めている。同製作所で作ったラストエンペラーなども、ここにいる人たちがエキストラになったかもしれない。彼らは、常に伯楽*3の登場を待っている。
ところがどっこい、この製作所内にタダで居座る訳にはいかないのだ。この製作所内をシマにしているマフィアに「みかじめ料」を払わなければならない。先の若者もこれを払わなかったから棒で叩かれたのだろう。
つまり、映画会社-マフィア-警察が一体となって、庶民から金を巻き上げている構図となる。分配率も決まっている筈だ。
動画の4分18秒くらいから、この映画製作所の周辺を映しているが、歩道橋の下にいる人間も乞食ではなく、伯楽を待っていると記事には書かれている。知らぬ間に乞食役しかできなくなる・・・。
*1北漂/北京に来て大学は出たものの就職もできず、故郷にも帰れず、北京を漂う若者のこと
*2北京映画製作所/1949/4/20に「北平电影制片厂」として創立、1949/10/1に「北京电影制片厂」に改名している。中国の三大映画製作会社の一つ、1956年まではニュースや記録映画も作っていたが、この部分は別会社にして、フィクション専門の映画会社となる。文化大革命で製作所は壊され、4人組失脚の後に再生される。「未完の対局」「侠女十三妹」「マルコポーロ」「ラストエンペラー」などがある。
*3伯楽/千里を走る馬の才能を見抜く達人、“世有伯楽,然后有千里馬。千里馬常有,而伯楽不常有。”
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