写真は南方都市報の記者を殴ろうとしている交通警官/博訊より、もう一枚は中国人の典型的な指差しポーズ
http://www.6-4.net/news/gb/china/2010/05/201005131249.shtml
【広東省中山市】5月11日午前9時55分、華柏路と桂園路の交差点で公共バスとマイクロバスの衝突事故が起こった。
南方都市報の記者が午前10時10分頃、現場に到着したが、お互いのバスの運転手は相手を非難し、相手の責任を追求していた。
警官ははじめから、記者に対して大声で威嚇しており、記者が事故現場の写真を撮ると警官は撮影を禁止して、映像を削除させた。そうした中での、交警のこの写真である。
事故の調査に新聞記者は邪魔なのかもしれないが、正規の記者証を持っている者に対して、暴力はまずい。後に交警大隊の政治工作員と副大隊長が南方都市報へ出向いて謝罪をしている。
何故、事故現場の写真を撮らせないのか?これは事故の責任に関して、第三者の情報が入らぬようにすること。つまり、交警のシナリオ通りとするための映像削除であろう。簡単に言うと、賄賂の多い方の責任が軽くなることかな。
事故現場のグーグールマップ↓
ちなみに中山市は孫文の出身地であることからこの名前がつけられた。孫文の号が何故「中山」かと言えば、日本に亡命していた時、日比谷公園の近くに住んでいたのだが、公園のそばには「中山」と言う邸宅があり、その門の表札に書かれた「中山」が大層気に入り、自分の号とした。
当時の中山家の当主は「中山孝麿」、父の「中山忠愛」の妹にあたる「中山慶子」が「孝徳天皇」の側室となり、「明治天皇」をお産みになった。「中山孝麿」は東宮侍従長や東宮大夫、宮中顧問官を歴任している。(
こうした由緒ある孫文の「中山」と言う号であるが、中国人はほとんど知らない。
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