写真は冷戦博物館「BUNKER-42」の英語サイトより
予約要
平日10:30より18:30まで
週末11:00より13:00まで
入場料 外国人は大人1300ルーブル≒3790円 (ロシア住民は700ルーブル)と高い
企業イベントや結婚式も可能だって
以下のFlickrにもたくさんの写真あり↓
http://www.flickr.com/photos/janinewarner/sets/72157608828523012/
【IZA3/7-【Viva!ヨーロッパ】ロシア 東西冷戦 過酷な歴史示す「記念碑」】
旧ソ連の核戦力を支え続けたモスクワ中心部の秘密施設が、「冷戦博物館」として一般に公開されている。米国からの核攻撃に備えて地下60メートルの深さに建設された7000平方メートルの巨大な空間は、東西冷戦が決して絵空事(えそらごと)ではなかったことを物語っていた。
■地下18階へ続く階段
モスクワの地下鉄環状線タガンスカヤ駅から徒歩約10分の距離にある博物館は、外観は周囲の建物と変わらないたたずまいだ。しかし、ひとたび扉を開けると、地下18階まで続く狭い階段が姿を現した。
「ここは軍の施設であり、一般住民の避難施設とは違う。核爆弾はここにはなかったが、核攻撃を受けた際に反撃するための指揮拠点だった」(施設を案内したエカテリーナさん)
自国民の被害はさておき、米国に核の威力を見せつけることを最大の目的とする地下施設。米ソが対峙した冷酷な現実をかいま見た気がした。
地下の一室には古めかしい電話など旧式の通信システムが並んでいた。1956年にできたこの施設はソ連国防省の管理下にあったが、国内の拠点との間を結ぶこの部屋だけは「国家の中の国家」と揶揄(やゆ)された巨大情報機関、国家保安委員会(KGB)が支配、部屋の存在は全職員の1、2割しか知らなかったという。
■核報復能力を担保
施設では2500人を超える職員が24時間態勢で勤務を続けた。米国などから核攻撃を受けた場合、その30日後に地表に出て放射能被害を測定するため、ガスマスクや防護服も常備されていた。もちろん、食料や安全な飲み水、空気清浄器や暖房も完備、スタッフは1カ月はここで暮らすことができた。
エカテリーナさんによると、62年のキューバ危機の際には最高レベルの警戒態勢が取られ、150人がおよそ10日間にわたりこの施設にこもり、不測の事態に備えたという。
80年代、ミハイル・ゴルバチョフ元ソ連大統領(80)の登場で東西冷戦は雪解けに向かい、施設は徐々に役割を終える。2006年に競売にかけられて民間企業が落札、博物館へと生まれ変わった。
■新STARTで信頼醸成
米露は昨年、戦略核弾頭の配備上限を定め、核弾頭を運搬する大陸間弾道ミサイル(ICBM)などの数を削減する新たな核軍縮条約(新START)に調印、今年2月に発効した。バラク・オバマ米大統領(49)の対話重視の姿勢も手伝い、米露の信頼醸成は軌道に乗りつつあるようにみえる。
しかし、両国が今も地球を破壊し尽くすだけの核を持っており、双方ともどこかで相手国の動向を昼夜分かたず監視し続けていることも事実だ。冷戦博物館は、核という強力な兵器を手にしたがために全廃することもできない人間の「愚かさ」を教えてくれているような気がした。(佐藤貴生(たかお)、写真も/SANKEI EXPRESS)
ある会話、未来の中共冷戦博物館にて
係員「コレ、日本を狙っていた核ミサイルね!」
日本人見学者「今でも狙っているのですか?」
係員「もう、コレ使えない。賞味期限切れあるよ」
日本人見学者「別のミサイルが日本を狙っているのですか?」
係員「私、そんなこと、知らないね!知ってても知らない、コレ中国の常識!」
日本人見学者「ちょっと触ってもいいですか?」
係員「見るは入場料に含まれてるからタダ、でも触るは100元だよ!一緒の写真も100元、コレ安いあるね。ホントだったら、死んでた日本人が生きててこのミサイルと写真撮るんだからね」
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