日本語の すでに滅びし 国に住み
短歌読み継げる 人や幾人
『日本人ではなくなった今も万葉の流れを台湾に留めようと、命の限り和歌を詠み続ける所存です。ご高見を賜ることができますれば光栄に存じます。 台湾歌壇代表 蔡焜燦』
冒頭の代表の言葉を抜粋致しました。これだけでもジンときます。
上記は三宅教子事務局長の短歌/台湾歌壇より
http://www.taiwankadan.org/bakkunanba/14ji-4
【IZA5/29-台湾で「短歌」を詠み継ぐ人々 会員数100人以上】
【外信コラム】台湾有情
台湾の日本語世代の歌人、呉建堂氏(故人)が創設した短歌会「台湾歌壇」の事務局長、三宅教子さんは、岡山県倉敷市の出身。細やかな気配りで知られる会のアイドル的存在だ。
岡山大時代に縁を得た台湾の留学生と結婚。1男3女にめぐまれ、1977年に家族で来台した。
その三宅さんから、自費で編んだ初の歌集「光を恋ひて」をいただいた。
異郷生活のとまどいや望郷の念、台湾への愛着が深まる様子がうかがえ、在留邦人の精神史の一例としても興味深い。
三宅さんは、日本語世代の会員が年々減少する様子をみて、「最後の一人までお世話をしたい」と決意し、数年前から月例会の準備や歌集の編集を支えている。その思いは2年前に詠まれた次の歌からもうかがえる。
「亡き友らの歌読みをれば留めたき思ひ次第に膨らみてくる」
大学での講演など、地道な活動が実を結び、一時は十数人だった月例会の参加者が、今や平均50人以上、会員数も100人以上に増えた。
日台の若者の入会も相次ぎ、「先住民の若者からも佳作がよせられました」という三宅さんは、「今後は、次代への運営引き継ぎに取り組まなければ」と目を輝かせている。(吉村剛史)
李登輝元総統と三宅教子アナウンサーの写真↓
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