写真は三人の男が薄暗い小屋で銃を作っている様子/YouTubeより
生活の為に銃を作る。その銃を犯罪に使うのは使用者の責任だと詭弁を弄す密造者。米国のライフル協会も同じかな。それじゃ、アヘンも覚せい剤も同じこと?
【IZA7/13-「家族養うため」銃密造 フィリピン・セブ 観光の島に闇市場】
「家族を養うためだ」。銃の密造に手を染める男らが口をそろえた。日本でも人気のある国際的な観光地フィリピン・セブ島に同国最大の「銃の町」がある。約千の密造工場があり、日本の暴力団にも密造銃が流れたという犯罪の源流の“闇市場”を訪ねた。
セブ市から北に約30キロのダナオ市。ヤシの木が並ぶ住宅地裏に10畳ほどの小屋がある。トタン屋根の下でシャツ姿の男6人がやすりを使って銃身を磨き、短銃を組み立てていた。
■「客は警官や軍兵士」
「1年たてば一人前の職人になれる」。親戚から「工場長」を引き継ぎ15年になるモラトさん(39)が話し始めた。
ブローカーから注文を受け、1カ月に短銃12丁を造る。値段は一丁1万ペソ(約1万9千円)からで真正な銃の5分の1以下だ。月収は1万5千ペソで、身内の他の5人は8千~1万ペソ。周辺農家の月収は2千~3千ペソしかなく、モラトさんは密造で「十分な生活費を稼げる」と話す。
1キロ離れた民家の中庭では別の男たちがショットガンを造っていた。銃売買ブローカーのフランシスコさん(56)によると、大半は親戚や友人らでつくる小さな工房だ。「客は警官や軍兵士、政治家周辺の者が多く、横流しする者もいる」。選挙の際は候補者の身辺警備を強化するため、注文が普段の5割増しになる。
「1970~80年代には日本の暴力団も買い付けに来たと聞いた」。フランシスコさんは声を潜めた。
■関係者2万~3万人
ダナオの銃製造の歴史は古い。スペイン占領末期の1890年代までさかのぼるとの説もある。市の資料では1920年代に本格的に製造が始まった。太平洋戦争時には抗日ゲリラに銃を供与。共産ゲリラやイスラム武装勢力と激しくぶつかったマルコス政権時代には、軍と反政府勢力の双方に供給し盛況だった。
現在は電子部品の大工場も進出したダナオだが、住民11万6千人の大半はバナナやサトウキビをつくる農民だ。だがダナオ警察のデレリス署長は「密造者、ブローカー、闇の『投資家』も含めた関係者は2万~3万人に上り、地場産業の一つ。技術が継承され一朝一夕に現状を変えられない」と頭を抱える。
市は多数の密造工場を合法化しようと試み、80年代に協同組合の発足を支援。だが内紛や登録料の高さが原因で2010年に解散した。
■銃犯罪、日本の50倍超
フィリピンはアキノ現大統領の父ベニグノ・アキノ元上院議員が83年に射殺されたほか、少年による銃撃事件も多い銃社会だ。国家警察の資料によると、銃絡みの犯罪は11年に9549件と日本の50倍以上で、うち密造銃が関係したのは9464件とほとんどを占める。
密造銃の犠牲者が絶えない現状をどう思うのか、密造者やブローカーに尋ねた。「犯罪は使用者の責任だ」。答えはあっけらかんとしていたが「子供にはまともな職に就いてほしい。そのために稼いでいる」と複雑な表情を浮かべる者もいた。貧困から抜け出そうと犯罪に手を染める苦悩が垣間見えた。
(ダナオ 共同/SANKEI EXPRESS)
ある会話/ダナオの二人の刑事
刑事A「Bさん、なんでこの家に?」
刑事B「Aさんこそ?私は犯罪に使われた銃の件ですよ」
刑事A「私は大学に入学したばかりの学生さんが撃たれて死んだ件なのですが」
ある会話/東京の二人の刑事
刑事A「Bさん、なんでココに?」
刑事B「Aさんこそ?実は増税反対の急先鋒の人物の暗殺予告なんです」
刑事A「私は実はタイムパトロールなんですが、私の時代の消費税30%の原因は全てその人物の所為だと教科書にも書かれていまして、タイムスリップする若者が増えているんですよ」
刑事B「ということは、現代の増税反対が将来の大増税となると言うことですか?」
刑事A「まぁ、そんなとこです」
刑事B「すると増税反対派が勝ったのですか?」
刑事A「そう、それだから、この国がガタガタになり、歴史を変えようと多くの若者がこの時代にやってくるのです」
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