写真は元陸軍総司令官(1856~1895)であるケンブリッジ公爵ジョージの騎馬像に乗るハダカ男/YouTubeより、23日のロンドンの最高気温は10℃、このハダカ男の為に3時間もロンドンの官庁街は通行止めとなった
【ロンドン】11月23日午後、ロンドンの中枢ホワイトホールにハダカ男が出現し、現場は混乱した。正午頃、男はケンブリッジ公ジョージの騎馬像に登り、服を脱ぎ始め、真っ裸で頭部に立つ等して、2台の消防自動車と8台のバトカーが現場の道路を封鎖した。
ハダカ男は警察の説得に応じず、何か話をしていたが、「内閣総辞職の要求ではないようだ」、午後3時、男は精神保健法により、警察に拘束された。
この騎馬像のジョージ・ウィリアム・フレデリック・チャールズは王族であったが、「政略結婚は失敗すると決まっている。」と公言しており、1847年、愛人であった女優サラ・フェアブラザーと結婚した。この結婚については1772年の王室結婚令に背いていることから、私的に行われ、サラとの結婚は法的には認められないものとなった。
サラはケンブリッジ公爵夫人とも殿下(Her Royal Highness)の称号も使えず、イギリス王室の一員とも認められなかった。サラは、ジョージが与えた姓フィッツジョージ(Mrs. FitzGeorge)を名乗った。愛妻サラが1890年に先立つと、ジョージは取り乱したという。以後、毎年の妻の命日になるとその死を悼んで喪に服すジョージの姿があった。
妻サラ・フェアブラザーとの間に3男をもうけ、全員が軍人となった。なお、王室結婚令に背いた結婚であったことから、子供たちにはフィッツジョージ姓が与えられたが、王位継承権及び公位継承権はなく、ジョージの死をもってケンブリッジ公家は断絶した。のち、ケンブリッジ公爵の称号は、2011年4月29日にウィリアム王子の結婚に伴い贈られた。-ウィキより-
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