写真は廖了以氏(右)と車椅子に乗る母親の廖節(佐藤節子)さん/大紀元(2007/10/19)より、当時93歳なので今年は白寿、廖了以氏の父親である廖忠雄氏は早稲田大学留学中に佐藤節子さんと知り合い、東京で結婚し住むことになるが、太平洋戦争勃発の昭和16年(1941)、二人の子供を連れて台湾へ帰り、日本人佐藤節子は台湾人廖節となる。
http://www.epochtimes.com/b5/7/10/19/n1873009.htm
【IZA5/6-台湾の対日窓口機関トップ退任へ 尖閣漁場取り決めで尽力】
【台北=吉村剛史】台湾の対日窓口機関、亜東関係協会の廖了以(りょう・りょうい)会長(65)が退任することが6日までに明らかになった。台湾各紙が報じた。昨年2月に就任し、尖閣諸島(沖縄県石垣市)周辺海域で台湾漁民の漁場を広げた日台民間漁業取り決め調印に尽力した。来年末の台中市長選への出馬も取り沙汰されている。
地元メディアによると、廖氏は今月に入って高齢の日本人の母親の介護などを理由に辞任の意向を固め、5日に馬英九総統が承諾した。同協会は近く理事会を開き、後任を選出する。
廖氏は地元、台中県豊原市長や台中県長(いずれも現台中市)、内政部長(内相に相当)、中国国民党秘書長(幹事長)などを歴任。日本統治時代に祖父が豊原街長(町長)、母方の祖父が台中庁長を務め、父も元豊原市長という台中の名家出身で知られている。
写真の湖心亭は廖節さんの父親である佐藤謙太郎氏が台中庁長であった明治41年(1908)10月24日に「台湾縦貫鉄道全通式」があり、この記念建築物として建てられた。
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