『県議会議長、那覇市長、メディアが「屈辱の日」にこだわり講和条約を基地問題と一緒にしてしまうことは好ましいことには思えない。米軍基地問題は講和条約とは別の次元だと考えるからである』宮古毎日新聞2013/4/26行雲流水「屈辱の日」より、まさにこのコラムの言わんとすることは正論であり、沖縄で「屈辱の日」大会などとまるで反日韓国人のような大会をすること自体が異常である。
主権回復の日への反対集会である「屈辱の日」宮古地区大会の実行委員会がこのコラムに対して「県民の心を踏みにじるもの」として、抗議し、謝罪を求めている。これもまるで反日韓国だ!
以下にコラムの全文をご紹介する。反日韓国人や反日中国人が抗議をするのであれば、まだしも、沖縄も正論に対して少しは考え直してみてはどうだろうか?主権回復の日を屈辱の日と呼ぶ。確かに中国・韓国にわが国の「主権」を歪められている現在の日本は「屈辱」に等しいが・・・。
宮古毎日新聞2013/4/26 行雲流水 「屈辱の日」
「屈辱」とは、人格を否定され辱められることだ。そこからは憎しみしか生まれない。憎しみは時に暴力を伴う。「辱められた」との思いを持ち続けると心の落ち着きを無くしてしまうのである
▼沖縄県議会は、4月28日を「屈辱の日」と決め、県議会議長は「屈辱の日」県民大会の共同代表となった。沖縄メディアは「屈辱の日」をあおり立てる。まるでプロパガンダだ。県議会が県民大会に関与することはメディアにあおられてのことのようにも思える
▼1970年12月20日の深夜に起こった「コザ暴動」の記憶がよみがえる。日本復帰を目前にした反米闘争の頂点ともいえる事件であった。当時の沖縄の状況では起こるべきして起きた事件であったかもしれないが、事件の機序と社会的意味は解明されているのだろうか
▼1952年のサンフランシスコ講和条約締結を「屈辱だ」といまさらあおり立てる意図はどこにあるのだろうか。県議会議長、那覇市長、メディアが「屈辱の日」にこだわり講和条約を基地問題と一緒にしてしまうことは好ましいことには思えない。米軍基地問題は講和条約とは別の次元だと考えるからである
▼講和条約締結によって、日本は主権国家として国際社会に復帰したのであるが、琉球列島の統治・帰属をゆがめるものでもあったことは否めない。しかし、日本復帰40年になる今日、講和条約を「屈辱」だと高唱する沖縄は日本国民としての心の落ち着きをまだ持てないということなのか
▼沖縄の社会は祖国復帰前と同じ状況にあるのだろうか。「屈辱の日」県民大会開催には疑問と困惑がつのるだけだ。
http://www.miyakomainichi.com/2013/04/48992/
以下は1970/12/20のゴザ暴動の映像
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