写真はシャルル・ド・ゴール空港で18年間暮らしていたMehran Karimi Nasseri=メルハン・カリミ・ナシリさん/YouTubeより、この場所が彼の定位置としていたシャルル・ド・ゴール空港第1ターミナルビルの内庭に面したガラス窓沿いのソファー。この話がもととなり、映画「ターミナル」が作られたと言う。ただ、映画会社は否定しているが、ガーディアン紙はナシリさんが映画化権料として25万ドルを貰ったと報道した。さて、スノーデン容疑者も身分保留の空港ホームレスとなるのか?それとも、掃除屋に処分されてしまうのか?米国国家権力からドラマのように逃げ出せるのか?カプセルホテルで自殺?飛び降り?ナシリさんの場合とは天と地ほども違う。
【IZA6/28-書類紛失、難民、抗議…スノーデン容疑者も?「国際空港で暮らした人々」】
モスクワの空港の乗り継ぎ区域に留め置かれているとされるCIA元職員、エドワード・スノーデン容疑者。世界にはさまざまな事情で空港に滞在した人がいる。元職員も「空港居住者列伝」に名を連ねるのか。
AP通信などによると、「最も有名な空港居住者」は1988年から18年間、パリのシャルル・ドゴール空港で暮らしたイラン人メルハン・カリミ・ナシリさん。70年代にイラン当局に国外追放されフランスに不法入国したが、同国からも退去処分を受け行き場を失い、同空港にとどまった。99年になってフランスから難民認定を受けたが、認定書類をなくし空港を出られず、2006年に病院に搬送されるまで暮らした。
日本から中国への帰国を拒否された上海の人権活動家、馮正虎氏は10年2月まで3カ月中国当局への抗議として成田空港の入国審査前の制限区域に滞在した。元職員と同じモスクワのシェレメチェボ空港では06~07年、イラン人女性人権活動家が2人の子供を連れ9カ月滞在した。(共同)
メルハン・カリミ・ナシリさんのメモ
1973/9、英国留学、留学中にパーレビ国王の反対運動を行う
1975/8、イランに一時帰国時、英国でのパーレビ国王反対運動により、秘密警察が空港にて逮捕、4か月刑務所へ、その後、国外追放処分となる
1976年、ヨーロッパへ戻り、ペルギー・西ドイツに亡命申請するも却下
1978年、フランスにも亡命申請するも却下、英国に向うもヒースロー空港で入国拒否、ベルギーへ
1980/10、ベルギーにて難民認定を受ける
1986年、英国移住を考え、ベルギーを出る。
1988年?フランスのシャルル・ド・ゴール空港に向かう途中でバッグを盗まれる。ヒースロー空港行きの飛行機には乗れたものの、ヒースローでまたもや入国拒否、盗まれたバッグに難民認定証があったため、フランスへ戻るもシャルル・ド・ゴール空港で入国拒否、空港暮らしが始まる
1999年、フランスにて居住許可及び難民パスポートが発行されるが、そのまま空港暮らしが続く
2004年、アメリカへ入国するためのビザを取得し、アメリカへの移住も考える
2006/8、体調を崩し、一時空港内の病院に入院し、空港暮らしが終了する
2007/1、病院を退院したが、パリ郊外のホームレス支援施設に移送される
◇おまけ映像/メキシコシティ国際空港で暮らす日本人
この方は野原弘司さん(41)、パスポートも持っていますので、スノーデン容疑者やナシリさんとは違います。なんだか人気者、2008/9/2から12/29まで3か月間を空港で暮らしました。ファーストフード店や観光客から施しを受けていたそうです。
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