写真はブラジル元大統領の故ジュセリーノ・クビチェック・デ・オリヴェイラ=Juscelino Kubitschek de Oliveira氏/YouTubeより
写真は1976/8/22、事故現場の大統領の乗っていた自動車/YouTubeより、これでは助かる筈もないが・・・。
【産経12/11-「事故死」のブラジル元大統領、暗殺と断定 政府委「軍が仕組んだ」】
ブラジル軍事政権(1964~85年)の人道犯罪を調べている政府の「真実委員会」は10日、76年に自動車事故で死亡したクビチェク元大統領について「軍が仕組んだ証拠がある」として、暗殺と断定したことを明らかにした。クビチェク氏は64年の軍事クーデターで公民権剥奪を命じられ欧米に亡命、帰国後も軍政批判を続けていた。
56~61年の在任中、内陸部発展を目的に中部の高原に人工都市ブラジリアの建設を進め、60年にリオデジャネイロから首都を移転。遷都による財政負担は後に経済停滞を引き起こし、業績には賛否両論がある。76年にリオ-サンパウロ間の高速道路で事故に巻き込まれ73歳で死亡した。
委員会は90点に上る証拠を分析し、目撃者らの証言から結論を出したとしているが、詳細は公表されていない。(共同)
以下のブラジルのカルタ・カピタル誌によれば、頭蓋骨に銃器で撃たれた兆候があるにも関わらずX線写真がないことなどがあげられている。つまり、銃で殺害してから、交通事故に見せかけたというものか?
クビチェック大統領の「50年を5年で」の工業化推進政策により、1950年代に日本企業がブラジルに進出した。銀行、商社、紡績、農業機械など数十社が進出、トヨタ自動車、イシブラス(石川島播磨重工―南米一の造船所であったが撤退した)の進出や日本とブラジルのナショナル・プロジェクトであるウジミナス製鉄などもこの時代である。
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