2011年12月アーカイブ

写真は顔に硫酸をかけられた小芳(仮名13歳)、白い軟膏が塗られているが、皮膚移植が必要、涙を流す小芳の目を綿棒で拭う母の手/BackChinaより、悲惨

http://news.backchina.com/viewnews-174418-gb2312.html

 

【湖北省武漢市】12月27日午後5時頃、武昌区民主路362号(黄鶴楼公園そば)で悲惨な事件は起きた。普段から靴音を響かせて歩く小芳さんに何度も文句を言っている李某(五十数歳)は、階段にいた小芳さんの頭から硫酸をかけた。武漢市の第三病院に小芳さんは運ばれたが、硫酸での火傷の傷は深く、皮膚移植をしても元に戻ることはないと言う。

 

25日にも小芳さんは李某から靴音の件で水をかけられている。

 

隣人に何度も文句を言われても改めないバカ娘と硫酸をかけるキチガイ隣人、この国ではどんな災難が降りかかるのか誰も予測できない。

 

以前、強制退去に来た役人に硫酸をかけた中年女性がいた。人口が多すぎるのか?DNAか?ココには後先考えない厄介な人物が確実にいる。

 

 

写真はまるで墓標のような高級マンション/BackChinaより、海南島の人は誰も買わない。この辺りは潮風が強く、金属はすぐに腐食してしまうので、地元民はパス、すべて大陸の金持ちが買っている模様。この高級マンションも一時は1平米20万元≒247万円の価格がついていたが今では14万≒173万円まで下落しているが買い手がないようだ。計算すれば、85平米の部屋であれば、14700万円の億ションで、たかーい!地元の船長はこんなの買う奴は気が狂ってると言う。本当に人が住んでいるの?金が済んでいるの?

http://news.backchina.com/viewnews-174255-gb2312.html

 

 

海南島の現在の空き部屋は455万平米、工事中止物件が1631万平米と中国全土の1/10を占めるバブル崩壊リゾート開発地区である。1998年末には5000社あった開発企業は現在200社足らず。

 

中国のハワイ・海南島へ行ったことのある方も多いと思うが、マンションの購入にはくれぐれもお気を付けを!

 

ちなみに海南島の大きさは東京都の15.5倍もある。人口は867万人。

 

 

どうでもいいことだけど、ちょっぴり気になるあなたへ

 

写真は霊柩車に寄り添って歩く金正恩三代目/YouTubeより

http://youtu.be/ogkvhVA1wZI

 

雪の積もった中でみんな寒いのに動員されてご苦労様なこった。沿道では例によって体を震わせて泣いている。2本目の映像で三代目が霊柩車に寄り添って歩いている映像がある。

 

三代目の後ろは後見役の張成沢国防委副委員長、霊柩車の左側の先頭は李英浩軍総参謀長、その後ろには金永春人民武力相が歩いている。どうでもいいけど、これがメディアの気にしていた序列。先軍体制をそのまま踏襲することとなった。

 

年末のくだらないテレビ番組にこれも入るのか???やれやれ・・・

 

 

映像は12月26日から始まった「国際象レース」で28日まで続けられる。300m走は10チームが参加、ネパール・英国・中国・ドイツ・ブラジルなどが参加した。観衆は1万人。

 

ちなみにアフリカ象は時速40km、インド象は時速25kmのスピードが出るようだ。

 

うーむ、ぞうにもとまらない~!美象?微増?火像?

 

IZA12/28-《ART CAFE》おめかし】

 ヒマラヤの国ネパール中部のソウラハで12月26日開かれた象の競技会「国際エレファントレース」に民族衣装で参加した女性=写真上。

 

 この競技会は観光の振興とアジアゾウの保護アピールを目的として始められ、今年で8回目。

 

 主役の象たちは300メートルのコースを競走したり、サッカーを披露したほか、伝統的な模様のボディーペイントでおめかしして「美象コンテスト」に臨んだ=写真下(いずれもロイター)。 (SANKEI EXPRESS)

http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/world/asia/540088/

 

 

写真はアシカの仲間のオタリアのレオ君の書いた「辰」/YouTubeより

http://youtu.be/yB3Ti5HNqAY

飼育係が先導しているが、出来栄えはなかなか、2012/1/31まで毎日2回書初めが行われている。

 

海洋生物の書道は如何でしょうか?でもカン首相の初動ミスはカバーできないよ!アシカラズ!

 

 

写真は頭に本を載せて落とさないようにバランスをとる練習/網易論壇より、北京駅では旧正月の大混雑時に備えて新人女子従業員への研修を行う。真ん中の新人さん、笑顔がいいよ!

http://bbs.news.163.com/bbs/photo/239850861.html

 

 

体の柔軟性を高める訓練、何に役立つのだろうか?もっとオシリを上げてとは言っていないかな?

 

 

敬礼だよ、全員集合!

 

 

紙を落とさないようにね!アタシO脚どうしょう???

 

 

笑顔よ!ハニートラップ笑顔を忘れないでね!ちょっと変な顔だぞ

 

 

メイクは女の基本なんだからね。化粧で混雑もごまかすのよ!

 

 

こちらへどうぞ!

 

毎年、民族の大移動だからね。大変だ。

 

 

 

写真は天童木工さんのサイトより、柳宗理さんへのお悔やみとバタフライスツールの写真

http://www.tendo-mokko.co.jp/info/?cat=1#1486

 

以下はメトロポリタン美術館のサイトより

http://www.metmuseum.org/toah/works-of-art/1988.195

これも柳宗理さんのデザイン↓ミャンマーで現役

http://image.space.rakuten.co.jp/lg01/48/0000316848/33/imgb4f96c97zik1zj.jpeg

 

こちらの聖火台も↓

http://matome.naver.jp/odai/2132486297118478701/2132486514618519003

 

父は民藝運動の柳宗悦で、祖父は海軍少将の柳楢悦、祖母は嘉納治五郎の姉で柳勝子、柳楢悦の三度目である勝子との結婚は勝海舟の仲立ちがあった。ちなみに勝子の勝は勝海舟の勝を取ってつけられた。たまたま、嘉納治五郎の姉が生まれた時に家に訪問したのが勝海舟であった。

 

柳宗理の写真↓

http://www.natsume-books.com/img_item/34346.jpg

 

柳宗悦の写真↓

http://www.nhk-p.co.jp/tenran/img/yanagi_main.jpg

 

柳楢悦の写真↓

http://www.bunka.pref.mie.lg.jp/art-museum/hillwind/hill_17/h_17-4.jpg

 

IZA12/27-工業デザイナーの草分け 柳宗理さん死去 「美は人々のために」息子が語る父と祖父】

 日本の工業デザイナーの草分けで、日本民芸館名誉館長の柳宗理(やなぎ・そうり、本名・むねみち)さんが12月25日、肺炎のため死去した。96歳。葬儀・告別式は近親者で行う。喪主は妻、文子(ふみこ)さん。

 

 民芸運動創始者で哲学者の柳宗悦(むねよし、1889~1961年)を父に持ち、美の本質を追い求めた生涯だった。宗悦が目を向けたのは手仕事、宗理は大量生産品…2人が歩んだ道は異なるが、「目指すところは一致していた」と宗理氏の息子で柳工業デザイン研究会の柳新一氏(61)は指摘する。今秋、宗悦没後50年を機に新一氏が明かしてくれた「祖父・宗悦、父・宗理の横顔」からは、距離を置きながらも互いに認め合う父子の姿が浮かび上がる。

 

 祖父・宗悦は私が10歳のときに他界したが、英国紳士のように洋服を着こなしていた印象があった。一方、父・宗理はパンツ一丁で家の中を歩き回るような人。幼い頃は利かん坊で、絵描きを志して東京美術学校の洋画科に入るも、(ドイツの造形芸術学校)バウハウスで学んだ教育者、水谷武彦さんの講義がきっかけで、建築やデザインにひかれていく。宗悦から離れようとしたのだろう。戦前に(モダニズム建築の巨匠、ル・コルビュジエに師事した)建築家、坂倉準三さんの下で働いていたころ、宗理はある論文で、宗悦と民芸を批判している。

 

 ■「到達点は同じ」

 そもそも「美(芸術)は人々のためにある」-これが宗悦・宗理に共通する考え方だった。美が王族貴族のものから中産階級、一般庶民のものになっていった19世紀末から20世紀にかけて世界の芸術家たちの中で広まった思想だ。

 

 宗悦は各地で見つけた名もなき美しいものを日々の生活の中で使った。一方、若い宗理は美しいだけでなく、マスプロダクション(大量生産)により「求めやすい価格」を実現し、新素材や技術も取り入れて耐久性や機能にもこだわる日常品を目指した。それが宗理の「人に奉仕する美」で、今さら手仕事を推す宗悦は「後ろ向きの骨董(こっとう)屋」だというわけだ。

 

 ところが戦後、宗理はデザイン活動の中で手仕事に関わっていく。もともと手仕事の中にある美は認めており、それをどう次世代につなぐかをプロダクトデザイナーの視点で考え始める。

 

 民芸運動の仲間も宗理の才能を認め、腕利きの職人を紹介するなど支えてくれた。宗悦も積極的支援はしなかったものの、明らかに宗理を認めていたと思う。

 

 宗悦が亡くなる1961年、宗理は(デザイン専門学校の主任教授として)ドイツに渡った。宗理は出立直前、宗悦と2人きりで話し、「歩む道は違っても、目指す到達点は同じだったと共に確認した」という。

 

 ■ビートルズ教えてくれた

 私が思うに、2人が「美しい」と感じるものは9割5分、一致していた。ただ、宗理の方が守備範囲は広かった。音楽にも造詣が深く、民族音楽に夢中になったり、ロックもいち早く聴いていた。私にビートルズも教えてくれた。

 

 宗理のデザインはモダンで西洋的だと思われているが、欧米の人から見れば日本的。日本のDNAが無意識に出てくるのだろう。

 

 性格も、得意分野も、時代背景も異なる宗悦・宗理だが、「美(芸術)は人々のためにある」という思いは一つだった。 (談/黒沢綾子/SANKEI EXPRESS)

 

       ◇

 ■やなぎ・そうり 1915年、東京都出身。38年に東京美術学校(現東京芸術大学)を卒業。53年、柳工業デザイン研究会を設立。シンプルで使い手の側に立った作品で知られ、普段使いの食器から、札幌五輪の聖火台まで多岐にわたる。代表作「バタフライスツール」はニューヨーク近代美術館の永久コレクションに選ばれた。77年、日本民芸館館長就任。81年に紫綬褒章、2002年に文化功労者に選ばれた。

 

 

写真は4回目の金正日総書記の遺体への弔問となる金正恩三代目/BackChinaより

http://news.backchina.com/viewnews-174121-gb2312.html

 

1226日、金正恩三代目が4回目となる金正日の霊柩に弔問をし、ハンカチを取り出して涙に拭いている。

 

朝鮮中央テレビ局は、金正恩三代目が党・政府・解放軍の指導者を率いて長く黙祷し、その後、各界の人々の弔問を受けた。現場では民衆の泣き声で金正恩三代目は涙がほろほろと流れて、ハンカチを取り出して涙を拭いた。

 

何を狙って4回も弔問をするのか?親とは言え、国家の指導者が泣く姿は他人に見せるべきではない。特に北朝鮮は強い指導者を求めている筈だ。国民は泣いても(泣き真似でも)それを堪えて泣かない男に命を預けることになろう。

 

 

写真は燃えるチャイナマーケット/BackChinaより、この炎は市内のどこからでも見えたと言う。

http://news.backchina.com/viewnews-174018-gb2312.html

 

12月25日午後2時半頃、ロシア中央部の都市スペルドロフスク(エカチェリンブルクと呼ばれることも)にある中国マーケット(衣料品が中心?)で火災があり、中国人の経営する6000の店舗が焼け出された。火災の規模は3000平米(ロシア紙では4000平米)、かなりの損失額になると思われる。尚、客・店ともに負傷者は出ていない。原因は究明中だが・・・。

 

そういえば、この都市は炭素菌やらUFO騒ぎがあったところでもある。

 

 

 

 

写真はキリギリスを入れる容器、細長い筒の中に夫々一匹ずつ入っている。/より

http://v.youku.com/v_show/id_XMTM0MTA0ODQ0.html

 

 

以下は500元のキリギリスの鳴き声と映像↓

http://v.youku.com/v_show/id_XMjc4MDY5NzY0.html

 

キリギリス大流行の冬の北京はバブル崩壊の鳴き声なのか?そのまま投資か、凍死か?

 

10元で温かいスープを飲むより、キリギリスを買う北京人は金持ちである。スープはその場限りだが、キリギリスは一冬生き抜く。

 

泣かないキリギリスは、歌を忘れたカナリアの如く、「柳の鞭でぶちましょか!」今なら「電気の棒でぶちましょか」となるのかな?

 

IZA12/26-《トレンド現象学》北京でキリギリスブーム 都会のストレス、鳴き声が清涼剤】

 北京でこの冬、中年サラリーマンらの間で、夏虫であるキリギリスを飼うことが流行している。緑が少なくストレスがたまりやすい冬場に、オフィスの机の脇などに置いて、その鳴き声を聞くことで、自然の息吹を感じることが目的だ。

 

 北京東部のペットや金魚などを売る市場では、11月以降、キリギリスが一番人気商品になったという。鳴き声の音色によって値段が異なり、10元(約120円)から3千元(約3万6千円)を超えるものまである。

 

 市内を流れる通恵川にうっすらと氷が張り始めた今月下旬、同市場に入ると、あちこちからキリギリスの鳴き声が聞こえ、一瞬だけ夏場に戻った錯覚に陥る。

 

 同市場にはキリギリス業者が少なくとも20人いる。虫の凍死を防止するために、キリギリスを発泡スチロールの箱に入れ、そのうえ布団までかぶせている。

 

 「羽の大きい虫がいい声を出す」。業者の馬強国さん(51)は客に虫の見分け方を紹介し、「2、3日に1回、細かく切ったにんじんをやるだけで、3カ月以上生きられる」と飼いやすさを強調した。

 

 北京で冬場にキリギリスを飼うことは、約100年前の清朝末期に一時流行した。満州族の貴族たちの間で、茶館などにそれぞれ自慢のキリギリスを持ち寄り鳴き声を競い合う遊びが盛んだった。しかし辛亥革命以降、中国では戦争と混乱が続き、こうした粋な遊びをする人がほとんどいなくなった。

 

 1978年に始まった改革開放以降、経済が豊かになり、市民の間でこの貴族の伝統的な遊びが少しずつよみがえった。キリギリスを飼う北京市民が毎年増え続け、今年は特に多いという。

 

 馬さんによれば、多い日は一日に50匹も売れ、平均すると昨年より3割ほど増えたという。「金融危機などで、みんなのストレスがたまっているのではないか」と馬さんは笑った。

 

 北京から約150キロ離れた天津郊外にはキリギリスを繁殖する大きな拠点があって、業者たちはそこから仕入れており、もはや一つの産業に育ちつつある。

 

 キリギリスを購入した保険会社勤めの男性(43)は、疲れたときやうまくいかないときなどに虫の鳴き声を聞けば、大自然の中で遊んでいた子供のころを思い出して「気持ちが安らぐ」と話している。(北京 矢板明夫)

 

 

 

唸声


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