2011年12月アーカイブ

記事は朝鮮日報より、「挺身隊対策協、"日平和碑撤去要請は厚顔無恥"2011/12/19

http://news.chosun.com/site/data/html_dir/2011/12/19/2011121900142.html

 

何度も繰り返される慰安婦問題、KBSニュースでも野田総理を厚顔無恥と非難していた。人気凋落の李明博大統領も「日本は永遠に両国間の懸案を解決できないという負担を抱え続けることになるだろう」と恫喝した。

 

残念ながら、我が国の反日新聞も野田総理の「解決済み」との回答に対して非難している。

 

慰安婦問題を考える上で一番大切なことは、「SEX SLAVE」 なのか 「PROSTITUTE(売春婦)」なのかである。万一、黙って連れてこられて男性の奴隷にされていたなら、SEX SLAVEであろうが、朝鮮人の親が子を売り、子が金銭を得ていたならPROSTITUTEなのである。それも大金である。

 

それは本人にとっては不本意であったかもしれないが、日本人の娘も親に売られていた。当時はそのような状況下にあったのである。今のような豊かな時代ではなかった。そうは言っても、今でも韓国では売春婦も稼業として成立している。

 

厚顔無恥などと誰に向かって言うのであろうか?嘘もほどほどにしてもらいたい。これで、河野洋平のように訳も分からず、謝罪するとそれこそ永遠に嘘が一人歩きをし始める。一つ解決してもまた新しい問題を探し出しては突きつけてくる。

 

拉致などないと豪語していた社会党は、金正日の謝罪とともになくなったと言ってよい。その金正日も亡くなったようだ。拉致と慰安婦問題は全く意味が違うが、一国のリーダーが非を認めるということは、嘘であろうがなかろうが、全て真実として歴史に刻まれるのである。

 

感情の国「韓国」にかき回されることは、我が国にとって百害あって一利なしである。韓国は現在の感覚で全てを評価し、法律まで遡って対応するとんでも国家だ。

 

慰安婦問題が両国の懸案事項であれば、すぐに秀吉問題まで出すであろう。やってられない。

 

 

 

写真は妙な手つきでボーリングをする26歳の経営者Meena Rahmaniさん/YouTubeより

http://youtu.be/dqaEFVEKnP4

19秒後に同経営者がボーリングの玉を投げるが、次のシーンであら不思議、玉の色が変わっている。

 

カブールのボーリング場「The Strikers」のコーヒーは15ドルで同地の平均日給を上回っている。1時間のゲーム代は35ドルで7日分の労働が1時間で消費されるお金持ちのお遊びである。

 

映像には経営者以外に女性の姿はない。女性がボーリングをすれば、鞭打ちとなるのだろうか?

 

IZA12/18-アフガンに初のボウリング場登場 経営者は26歳女性】

 アフガニスタンで、国内初のボウリング場が首都カブールに登場した。開設したのは、内戦やイスラム原理主義勢力タリバンの支配を逃れるため国外で16年間過ごした後、母国に戻ったアフガン女性のミーナ・ラフマニさん(26)。約30年の混乱で失われたアフガン人の明るさを少しでも取り戻したいと投資した。日本と同じでき映えのボウリング場はアフガン人で連日盛況だ。(カブール 田北真樹子)

 

 ボウリング場「ザ・ストライカーズ」は、カブール市内中心部のシャレナウ地区にひっそりとある。外観は小さな看板だけ。トタンのドアを内側から開いてもらって入ると、自動小銃を持った警備員たちが構えていたが、身体検査などを抜けると別世界が広がる。

 

 赤や木目を基調とした欧米風のレストラン。隣には、最新システムを導入した12のボウリングレーン。アフガンとは思えない光景だ。

 

 「そういう驚きを得られることを目指したんです」と、ミーナさんは語る。インテリア用品などは北米や中国から輸入。ボウリング場の建設は中国企業が担った。料理もイタリア料理がメーンだ。

 

 ミーナさんがボウリング場建設を思いついたのは2009年。カブールに約16年ぶりに戻ってきたときだ。1992年に内戦を逃れるため家族とパキスタンに脱出、06年からは夫とカナダ・トロントで暮らしてきたが、09年に両親がカブールに戻ったのを機に里帰りした。その時、「ここは、苦労や悲しみばかりで、笑顔をもたらすはずの娯楽がないことに気づいた」。そこで、カナダで楽しんだボウリングを思いついた。

 

 先祖から引き継いできたカブール市内の土地をすべて売却して約百万ドルの資金をつくった。建設の全行程につきっきりで関わった。

 

 建設現場の労働者らからは「この娘がオーナー?」と何度も複雑な顔をされた。だが、「この国に変化をもたらすことを誓っているから、全く気にならなかった」。

 

 9月にオープンして3カ月が経過した。評判は口コミなどで広がり、1時間35ドルとアフガンではかなりの高額だが、連日多くの人でにぎわう。特に休日前の木曜日夜は全レーンが埋まる。

 

 多くのアフガン人にとってボウリングは未知のスポーツ。それでもこの3カ月でリピーターもできた。カブール市内の貿易商、サイード・ハリドさん(35)も週2、3回は通う。「カブールでボウリングができるようになるとは思わなかった」と大喜びだ。

 

 1日平均百人の来店があるが、機器のメンテナンスや自家発電機用の燃料費など経営的には厳しい。だがミーナさんは「アフガンを発展させるのは、外国で教育を受けたアフガン人の責任」と力を込める。

 

 ミーナさんは、このボウリング場から国際大会に出場できるような選手を育成したいと思う。アフガン人の可能性がまたひとつ、広がった。

 

 

 

・山東省済南市の高三モデル/BackChinaより

http://news.backchina.com/viewnews-172546-gb2312.html

 

・全裸の菜食主義者、クリスマスを前にアピール/BackChinaより

http://news.backchina.com/viewnews-172584-gb2312.html

 

・ニューハーフスッチー/BackChinaより

http://news.backchina.com/viewnews-172478-gb2312.html

 

リンクサイトにはさらに多くの写真があります

 

写真は地下鉄車両内のネズミ/BackChinaより

http://news.backchina.com/viewnews-172506-gb2312.html

 

地下鉄構内でネズミが発生し大騒ぎとなっているが、車内にまで現れている。12/13には延長路駅と上海馬戯城駅間の混雑した車内で天井から女性の胸元にネズミが落ちてきたと言う。

 

地下鉄内での飲食が原因とのこと。

 

ある会話

部長「最近、ネズミを見なくなったが何かしたのか?」

課長「いいえ、特に何もしていませんが、最近、人気の露店の菓子の持ち込みが増えているだけです」

 

 

写真は成都鉄道工事学校のメチャクチャになったチベット族の教室/BackChinaより

http://news.backchina.com/viewnews-172559-gb2312.html

 

【四川省成都市】1214日晩、県にある成都鉄道工事学校で千人以上の漢族の学生が数百人のチベット族の学生に襲い掛かった。原因は漢族の学生がチベット族の学生の喧嘩を止めたところ、チベット族の学生に殴られたというのが直接的なものだが、日頃よりもっと根の深いものがある。記事には、チベット族の学生に漢族の学生がいつもいじめられており、不満が溜まっていたとある。(鵜呑みにして良いかどうかは不明)

 

漢族の学生達は、チベット族の寝室から教室をメチャクチャに破壊してまわり、数名のチベット族の学生は病院へ運ばれた。学校側は公安に通報し、数百名の特別警察が派遣され、暴徒と化した漢族の学生は特別警察の警棒でしこたま打ちのめされた。

 

ネットでの漢族の書き込みは、「よくやった」「少数民族の優遇政策をやめよ」とチベット族への攻撃的なものが多い。当然ながら、チベット族にも同様の不満があろう。中共政府の少数民族優遇政策が有ったとしても、中国は漢民族社会であり、異民族が公平に扱われることはない。

 

チベットやウイグル問題は中共政府には解決など出来ない問題であり、彼らの独立以外に解決はないであろう。

 

民族問題は人類が解決しなければならない大切な課題ではあるが、バカハトのような世界市民なる非現実的な考え方は温和な日本人でさえも難しい。地域社会に親和する民族であるならば、まだしも、どこに行っても自分達を変えることのない傲慢な民族が力を持つと必ず民族間紛争が起こるのである。(自分達を変えることのない傲慢な民族、皆さんには分かりますね。世界中で問題が起きています)

 

【産経12/16-チベット族と漢族が乱闘 成都】

 中国四川省成都市の鉄道専門学校で14日夜、漢族とチベット族の学生計千人以上が殴り合いの乱闘騒ぎを起こし、多数の負傷者が出た。香港紙、明報などが16日、伝えた。

 

 チベット族学生同士のけんかを仲裁しようとした漢族の学生をチベット族が集団暴行し、報復のため集まった漢族がチベット族を襲撃。教室内も破壊したという。

 

 現場に数百人の警官隊が駆け付け、騒動を鎮圧した。(共同)

 

 

 

写真は曽文恵・李登輝夫人をお迎えする許世楷代行主席/YouTubeより

http://youtu.be/gzGiTAwoPcM

 

12月3日午後2時半より台灣基督長老教會大稻埕教會にて黄昭堂氏の告別式が行なわれました。その時の一部をご覧戴き、黄昭堂氏については以下の盧千恵・許世楷夫人のコラムをご覧下さい。

 

IZA12/16-《盧千恵のフォルモサ便り》黄昭堂先生をしのぶ 希望の光を求め生き抜いた】

 多くの日本の方々が、高齢の李登輝元総統の大腸がんの手術を心配してくださいました。さいわい手術も無事に終わり、「李登輝感恩音楽会」も開かれました。最前列の真ん中の席に、白い花束がおかれていました。11月に急逝された台湾独立建国連盟主席、黄昭堂(こう・しょうどう)先生をしのんで、李登輝元総統が哀調の意をあらわした花束です。

 

 ■独立運動の勇者

 黄昭堂先生は台湾大学を卒業したあと、1958年に日本へ留学し、東京大学で博士号を取得。そのあと昭和医大で教鞭(きょうべん)をとり、1992年のブラックリスト解除まで、34年間日本で苦しい亡命生活を続け、台湾独立の基盤を築き、ひいては台湾の民主化を推し進めた台湾人にとっては大事な人物です。28歳から79歳で世を去る日まで、終生台湾を愛し、独立運動を指揮してきた勇者でしたが、心の広い穏やかな人柄は、多くの人々を魅了してきました。新しい台湾の幕開けを人々に予感させながら、その喜びを分かち合うことなく去ってしまいました。

 

 1960年2月、東京・大塚の小さなキッチンがついた6畳間の下宿で初めて会いました。留学生が4、5人座卓を囲んで、すき焼き鍋をつつきながら、熱心に台湾の情勢を話し合っていました。トイレに入ったら、蒋介石の写真が壁に貼ってあるではありませんか。1960年代、台湾では蒋介石の写真の前を通るたびにお辞儀をするように教えられていたので、びっくりしました。

 

 間もなく、彼の周りには農業、医学、言語学、政治学、図らずも一致して台湾に関わる研究をしている留学生が集まりました。1960年4月、台湾独立運動の先駆けとなる『台湾青年』誌が発行され、台湾に関心を持つよう同郷への呼びかけが始まりました。わたしは結婚前、ボーイフレンドだった許世楷から、独立運動に参加するので、しばらくは国へ帰れなくなるがと、打診を受け「しばらくってどの位?」と聞きましたら、「まぁ3年ぐらいかな?」と言われましたが、帰国できたのは33年後でした。長くて3年と考えられていたこの雑誌も、42年間多くの人々に影響を与え、結局2002年6月の五百期まで続きました。

 

 それ以来、優秀な台湾人留学生が台湾青年社に入り、台湾独立建国連盟へと発展していきました。募金活動、文章書き、校正、発送、時にはデモ、時には台湾島内の政治犯救援活動など、国造りのための苦難の戦いが始まったのです。白色テロの時代、蒋介石独裁政権下で台湾の親兄弟に迷惑がかかるのを恐れて、多くは名前を隠した秘密メンバーでしたが、公開メンバーの先頭に立ったのが、黄昭堂先生でした。1964年2月、ホテルオークラで記者会見を開いたのが、最初の公開活動だったと覚えていますが、黄昭堂先生を除いて、寥春栄、周英明、許世楷の3人は未練がましく、大使館員に見分けられないようにと、黒枠のめがねを掛けました。そのためでもないでしょうが、子一人母一人のその母が亡くなったとき、黄先生はお葬式のために帰国することができませんでした。

 

 ■34年後の帰国

 帰国がかなったのは1992年の11月で、国を出てから34年後のことでした。時間があると、黄先生は生まれ故郷の台南県七股郷の廟前広場に座り、人々に台湾独立を説きました。2000年の総統選挙では、いち早く陳水扁総統を支持し、2004年は李登輝元総統と一緒に、「手護台湾」-台湾の最南端から最北端まで220万人の手をつなぐ人間の鎖をつくり、『台湾イエス、中国ノー』と、台湾人の願いを世界に向かって表す運動-を成功させ、陳水扁総統の再選を導いたのです。

 

 今月(12月)の3日、大稲埕教会での告別式で、長年の心の同志でもある高俊明牧師が「義人は神の国において太陽のように輝く。勇士がたおれた後、10人が立ち上がり、10人がたおれた後、100人が同じ理想を掲げその後に続く」と、立錐(りっすい)の余地もない満場の会葬者に話されました。

 

 苦難に打ちひしがれながらも

 希望の光を求める 人生を生きぬいた

 君の青春は勇敢な歌

 名前は土地の上に書き記されるだろう

 空が明るくなっていく

 愛が軽やかに広がっていく。

 

 フォルモサ合唱団でうたう「夜明け」の歌に涙がとまりませんでした。「千の風」のバイオリン演奏がなされる中、曽文恵・李登輝夫人が、

 秋高し 逝きし友みな 千の風

 と心やさしい歌を隣に座っていた許世楷代行主席にわたされたのを読み、慰められました。

 (許世楷(コー・セーカイ)・元台北駐日経済文化代表処代表の令夫人、盧千恵/SANKEI EXPRESS)

 

告別式における「千の風になって」のバイオリンは以下で

http://youtu.be/I0zAOr1vIZo

3分5秒後から、バイオリンは徐錫隆氏

 

 

李登輝感恩音楽会の最前列の真ん中の席の白い花束の写真↓

http://www2.cna.com.tw/ShowNews/WebNews_Detail.aspx?Type=FirstNews&ID=201111260027

 

一番初めの動画でバッハを弾いていたのは盧佳君さん、アジエンスのCMに出ています↓

http://www.youtube.com/watch?v=MRZcWs0tE7M

 

 

写真は英国ミラー紙より「英国台風ジェット戦闘機British Typhoon jet fighter

Typhoon fighter planes to be deployed during London 2012 Olympics=台風戦闘機、2012年のロンドンオリンピック開催中に配備される

http://www.mirror.co.uk/news/london-2012-olympic-games/2011/12/15/typhoon-fighter-planes-to-be-deployed-during-london-2012-olympics-115875-23637655/

 

ユーロファイターのいい宣伝にもなる。F35に決めるのはいいが、いつになるか分からない戦闘機よりも今飛ぶ戦闘機の方がいいんじゃないの。まぁ、トモダチ作戦の御礼として米国に儲けてもらうのもいいけどねぇ。しかし、何と言っても我が国で全て開発製造するのがベストだ!

 

しかし、ロンドンオリンピックは大丈夫なのだろうか?心配すればキリがないけど、テロリンピックなんてことにならないように気をつけてもらいたい。

 

以下はユーロファイターのtouch and go映像

 

IZA12/16-ロンドン五輪、英国防省が軍隊投入】

 【ロンドン=木村正人】来年7月に開幕するロンドン五輪とパラリンピックの警備強化のため、英国防省は15日、英兵士1万3500人に加え、英海軍の揚陸艦2隻と英空軍の最新鋭戦闘機ユーロファイターやヘリコプターを配備すると発表した。

 

 英政府は当初、警察官1万2000人と民間警備会社の1万人で警備計画を立てていた。しかし、アフガニスタンでイスラム原理主義勢力タリバンとの戦闘が続いている上、英国がリビア軍事介入を主導、ロンドン五輪がテロの標的になる恐れが強いため、ハモンド英国防相は「英国はここ数10年で最大の安全保障上のリスクにさらされている」と警備態勢を見直していた。

 

 発表によると、英兵士5000人が警察を支援、7500人が国内150カ所の競技会場や練習施設を警戒。1000人が後方支援に回る。爆発物の探索や処理を担当するほか、警察や民間警備会社と協力して大規模テロや暴動を未然に防ぐ。

 

 さらに、非武装の1000人も非常事態に備えて待機するという。

 

 大会期間中、ロンドン東部グリニッジにヘリコプター揚陸艦オーシャン、イングランド南部ウエーマスにドック型揚陸艦ブルワークを配置。ユーロファイターも周辺空域を警戒する。

 

 2001年の米中枢同時テロのような航空機を使った攻撃を防ぐため地対空ミサイルの配備も検討されており、警備予算は当初の2億8200万ポンドから5億5300万ポンド(667億円)に倍増した。

 

 

 

<ウェディング衣装で飛び降り自殺>タイトルは唸声が勝手につけたもの

 

【中国・長春】5/17、でウエディングドレス姿の若い女性が飛び降り自殺を図ったが、間一髪で救われたところ/BackChinaより、別れ話が自殺の原因、彼女は長春税務学院の受講証を持っていたが、この時点では既に吉林財政経済大学に改名されていた。

http://news.backchina.com/viewnews-172354-gb2312.html

「時代」と書いてあるので「Times」なのだろうか?上記サイトには、唸声が取り上げた三点以外にも36枚の素晴らしい写真あり、どうぞご覧あれ

 

<中毒患者は死んでも注射器を離しませんでした>

 

【メキシコ・ドランゴ州】5/12、道端に8人の頭のない男性の遺体が転がっていた。この遺体は土に埋められていたものではなかろうか?メキシコの麻薬戦争の犠牲者は昨年の15273名から今年は11600名と減ってはいるが、2007年から合計すると45000名もの犠牲者が出ている。

Mexican Drug War update

http://stopthedrugwar.org/topics/drug_war_issues/source_countries/mexican_drug_war

 

<第三の男、犬に忍び寄る影>

 

【インドネシア・ジョグジャカルタ】5/29、影に映っている男が袋に入れられた犬の頭めがけて棒を振り下ろす場面を撮ったもの。ある意味では一番怖い写真でもある。現地では犬の肉は元気をつけ、皮膚病を治すと言う。イスラムは犬は食べないが、イスラム以外はクリスマスにはご馳走として犬が食卓に並ぶであろう。

 

 

写真は黄海を航行中の中国空母ワリャーグ/BackChinaより

http://news.backchina.com/viewnews-172384-gb2312.html

 

以下はデジタルグローブ社のサイト↓

http://www.digitalglobe.com/products#monitoring&analysis-center

 

まさに、後悔(黄海)先に立たずである。我が国はデタラメな国に囲まれている。台湾のようなまともな国を除けば、四面楚歌状態だ。平和の呪文だけでは国は守れない!ましてや、素人防衛大臣など無用どころか邪魔なだけだ。国防費の削減効果のツケは必ず廻ってくる。その時、悔やんでも遅い。後悔先に立たずである。

 

IZA12/15-Varyagとらえた】

 ウクライナから購入した中国初の航空母艦「ワリヤーグ」の姿を、米衛星画像大手デジタルグローブ社が12月8日に撮影。AP通信が(12月)14日配信した。写真は中国・大連港の南南東約100キロ付近の黄海を航行中の姿。ワリヤーグは11月29日に中国遼寧省の大連港を出航、(12月)11日には大連に戻り、2度目の試験航行を終えた。 (SANKEI EXPRESS)

 

 

 

嘘を真に変換し無限の恨パワーを作るリサイクル国家、恨パワーで生まれるものは何か?

写真は慰安婦記念碑である13歳の少女の銅像が日本大使館を見つめている/YouTubeより

http://youtu.be/7M-1wh_Wdzo

この映像の中に韓国ドラマによく出てくる俳優がいる。こんな芸能人の出ているドラマを我が国では延々と垂れ流しにしているのである。韓国だけでなく、こんなドラマを放映する日本の企業だってどうかしてるよ!まったく!

 

こんなに屈辱的なことはない。非常識にもほどがあるが、この国の非常識には制限がない。感情に任せて驀進する破滅的な国民性にはほとほとウンザリする。中国と揉め、日本とも揉めて、この国は生きて行けるのか?

 

反日の象徴記念碑を日本大使館の前に設置すると言うことは、日本人全てに対して反日をアピールすることに他ならない。駐日韓国大使館前に竹島の記念碑を建立されたらどう思うのか?彼らは自分達がすることは全て正義で他国がやることは全て悪と言う、単純な感覚しかない。竹島記念碑の前でハラキリパフォーマンスや日の丸食いちぎりパフォーマンスを演じるだろう。

 

こんな国が隣にあること自体が我が国の悪夢である。韓国は嘘を真にしたツケを払わねばならない!ただ、この嘘に日本人も加担していることが一番情けない。彼らはツケを払わねば、さらに借金を膨らませていく。同じことが中国でも進行中である。

 

IZA12/15-ソウルの日本大使館前に「慰安婦記念碑」建立】

 日本による朝鮮半島統治時代の元慰安婦を支援する「韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)」は12月14日、ソウル市鍾路(チョンノ)区にある在韓日本大使館前の路上に元慰安婦を象徴する碑を建立、除幕式を行った。

 

 大使館の目の前に反日的な構造物が設置されたことに日本側は反発しており、武藤正敏駐韓大使は韓国外交通商省を訪れ「外交公館の尊厳にかかわる」と抗議し、碑の撤去を要求した。

 

 碑は下地のコンクリートパネルと少女のブロンズ像からなり、像の隣には空席の椅子が並べられている。まだ暗い午前7時前に現場に運ばれ、業者がコンクリートカッターでブロックの歩道を約150~180センチ四方に切断。土を掘り整地した後、コンクリートパネルを敷き詰めた。

 

 当初、碑の設置を許可していた鍾路区は、その後「無断設置は違法」と態度を見直しており、路面舗装を崩す行為は罪に問われる可能性もある。業者は取材に対し「依頼されてやっているだけでよく分からない」と話した。

 

 パネルには韓国語と英語、日本語で「(運動の)崇高な精神と歴史を引き継ぐため」と建立目的が刻まれており、日本政府への謝罪と補償を要求する団体の運動を美化している。

 

 正午前からは、仮設舞台が設けられた大使館前の路上で、日本からの参加者数十人も含む約1000人(警察当局による)が参加した除幕式が開かれた。

 

 与野党議員らのほか、鐘や鼓を打ち鳴らす伝統舞踊家や歌手、女子高校生らが次々と登壇。大型スピーカーを通して日本政府を糾弾し、感極まって言葉に詰まる者もいた。公式謝罪などを要求するシュプレヒコールが上がり、式は2時間あまりで終わったが、その後も椅子に座って記念撮影をする人の列が続いた。

 (ソウル 加藤達也/SANKEI EXPRESS)

 

       ◇

 

 ≪反日のシンボルになった「虚構」≫

 ソウルの日本大使館前に建てられた反日団体による「慰安婦記念碑」は、国際的には前代未聞のことだろう。反米運動は世界各地にあるが、米国大使館前に反米記念碑が建てられたという話など聞いたことがない。

 

 ■度を越す「国家的侮辱」

 反日では“超法規的”に何でもありの韓国だが、これは明らかに度を越している。今週末、李明博大統領の訪日が予定されているが、民間団体の行為とはいえ、これでは日本の対韓感情の悪化は避けられない。

 

 今回の“国家的侮辱”に対し日本大使館は、計画を思いとどまらせようと全力をあげた。「大使館前は困る」と場所変更を含め、さまざまな筋に訴え続けた。

 

 道路を管轄する地元の鍾路区は、最終的には「許可の権限外」として正式の許可は出さなかった。日本の訴えを受けた韓国政府の「要請」があったためだ。“無許可建造物”にとどまったことは、日本側の外交努力の結果といっていい。

 

 ■過剰に気遣う韓国政府

 韓国では2002年、米軍車両による女子中学生轢死(れきし)事件で反米運動が高調した際、反米団体が米大使館から離れた路上に記念碑を無許可で建てたことがある。しかし、鍾路区は半年後に撤去している。

 

 それにしても国際化時代のまっただ中で「貿易額1兆ドル突破」を国を挙げて祝い、韓流ブームを世界に誇る韓国で、外国公館に対するこんな品のない行為が許されるとは。

 

 「日本大使館前の慰安婦記念碑」に外交当局者など韓国政府も、内部的には困惑している。しかし市民運動全盛時代で、慰安婦支援団体の“無理押し”を説得できない。日本がらみだけに、マスコミなど世論の政府批判を恐れるのだ。

 

 韓国政府が過剰に気遣いし、支援団体が「記念碑建立」を強行できた背景には慰安婦問題の“聖域化”がある。20年にわたる執拗(しつよう)な日本非難キャンペーンの結果、元慰安婦の老女たちは今や「独立運動功労者」のように英雄視され、亡くなると必ず経歴、写真付きで新聞に出る。

 

 ■覚悟問われる日本

 日本統治時代の戦時中、貧困などさまざまな理由で慰安婦生活を余儀なくされた彼女たちが、外地の慰安所などで日本軍将兵を相手にしたため「日本帝国主義の被害者」として今や、日本糾弾の反日運動のシンボルになってしまったのだ。

 

 韓国では慰安婦問題をめぐって、すでにある種の「神話・虚構」ができあがっている。支援団体はそれを国際社会に拡大し日本非難を繰り返している。これに反論しその神話・虚構を崩すには、支援団体以上の熱意と執拗さが求められるが、日本には官民双方にそれがない。あらためて国家的レベルで調査や検証に取り組む覚悟が必要かもしれない。

 (ソウル 黒田勝弘/SANKEI EXPRESS)

 

       ◇

 

 ■慰安婦 戦地などで性の相手をする女性。近現代史家の秦郁彦氏の研究によると、日本の場合、総数は1万数千人で、内地から渡った女性が4割と最も多く、朝鮮半島出身者は2割とされる。1993(平成5)年、河野洋平官房長官が資料的裏付けがないまま募集時の強制性を認めた「河野談話」を発表したが、強制連行説は破綻している。だが韓国では勤労奉仕の女子挺身隊員と慰安婦を混同するなど「神話・虚構」が独り歩きしている。従軍看護婦、従軍記者などの肩書はあったが「従軍慰安婦」という言葉はない。

 (SANKEI EXPRESS)

 

唸声


世界のニュースネタをお届けします。映像や写真、色々な国の新聞もご紹介します。笑いあり、涙あり、グロもあり!世界には我々日本人の知らないことがいっぱいあります。

このアーカイブについて

このページには、2011年12月に書かれたブログ記事が新しい順に公開されています。

前のアーカイブは2011年11月です。

次のアーカイブは2012年1月です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。

月別 アーカイブ