
写真は皇太子殿下を歓迎する学生たち/BackChinaより、以下のサイトに49枚の写真有
http://news.backchina.com/viewnews-138788-gb2312.html

台北での皇太子殿下

台湾製糖会社屏東製糖所
裕仁皇太子殿下は大正12(1923)年4月12日にお召し艦「金剛」にて横須賀をご出港、16日に基隆に入港された。殿下は午後1時25分、基隆に上陸、基隆駅から列車で台北駅に到着し、総督官邸にご宿泊された。
殿下は台北、新竹、台中、台南、高雄、屏東、澎湖島とほぼ台湾全域をご訪問された。27日午前7時10分に台北駅を発車、基隆港から「金剛」で帰京なされた。殿下が台湾に滞在された10日間のスケジュールは以下の通り。
17日 台湾神社参拝、台湾総督府、植物園内生産品展覧会、中央研究所農業部行啓、宿泊所(台湾総督官邸)
18日 中央研究所、師範学校、同付属小学校、太平公学校、軍司令部、 高等法院、第一中学校内教育品展覧会、医学専門学校行啓、宿泊所(台湾総督官邸)での原住民舞踏鑑賞
19日 新竹州庁、新竹尋常高等小学校、台中州庁、台中第一中学校行啓、宿泊所(台中知事官邸)で市民提灯行列、花火を観覧
20日 台南州庁、孔子廟、台南師範学校、第一公学校、第一中学校行啓、宿泊所(台南知事官邸)で台湾武技、奏楽、提灯行列を観覧
21日 安平、台湾製塩会社塩田、養殖試験場、歩兵第二連隊営庭での閲兵、高雄州庁、第一尋常高等小学校行啓、高雄港内の巡覧、宿泊所(貴賓館)で提灯行列等を観覧
22日 台湾製糖会社屏東製糖所行啓、高雄山(これを機に29日に寿山と改称)を登山、宿泊所(貴賓館)から湾内の松明行列等を観覧
23日 お召し艦「金剛」で澎湖島へ、要港部行啓、基隆へ回航
24日 基隆着、クルベー浜フランス戦没将士を弔い、築港工事巡覧、重砲兵大隊行啓、台北に帰還して博物館、円山運動場(全島学校連合大運動会)へ行啓
25日 草山及び北投温泉に清遊、途中基隆河に数千羽の家鴨放飼を観覧
26日 歩兵第一連隊営庭での閲兵、専売局、第一高等女学校、武徳殿、 第三高等女学校、円山運動場(陸上競技)へ行啓
上記は日台交流センターより
http://www.koryu.or.jp/center/ez3_contents.nsf/06/1D22676173547A6949256EBA003BCBD8?OpenDocument
カン首相がどうしようもない奴でも、天皇陛下がおられるから日本は復興できる。その天皇制を崩壊させようとしていた左翼が、大災害では全く役立たずの無用の長物であることを日本国民は認識した。また、日本が天皇陛下とともにあることも日本国民はこの大災害から学び取った。
【IZA4/29-《主張》昭和の日 苦難学び心一つに再生を】
5回目の「昭和の日」を迎えた。この日は言うまでもなく昭和天皇の誕生日だった。平成になり「みどりの日」となっていたが、国民の強い願いもあり「昭和の日」と衣替えし「みどりの日」は5月4日に移された。
祝日法によると「昭和の日」は「激動の日々を経て、復興を遂げた昭和の時代を顧み、国の将来に思いをいたす」日とされている。それだけに「敗戦以来の国難」と言われる東日本大震災から50日目にこの日を迎えた意義は大きい。
六十余年に及んだ昭和の時代は、あの大戦による国土の荒廃だけでなく、昭和8年の三陸大津波や23年の福井大地震、34年の伊勢湾台風など、数限りない天災に襲われた。昭和の大恐慌や石油ショックなど、経済危機にも幾度となく見舞われている。
だがその都度、危機を乗りこえ国の新たな発展につなげてきたのも昭和という時代だった。根底には長い歴史に培われた経済的底力もあったが、国民が一致団結して困難に立ち向かったことがそれを可能にしたと言っていい。
その強い力添えとなったのは、昭和天皇が国民と苦難を共にされたことだった。
特に日本中がほぼ焼け野原となった終戦直後には、全国を巡幸され国民を励まされた。巡幸中は旅館やホテルではなく、学校の教室に布団を敷き、カーテンをかけてお休みになることもあった。そうした昭和天皇のお姿を見て国民の多くは復興への決意を新たにしたのである。
今回の大震災でも、天皇、皇后両陛下は27日に宮城県の被災地を見舞われたほか、すでに4回にわたり被災地や避難所を訪れ、被災者を励まされた。今後も岩手県や福島県を訪問される予定だ。東京電力の計画停電に合わせ、自ら停電生活も経験された。
昭和のご巡幸同様、被災者だけでなく国民みんなをどれだけ勇気づけているか計り知れない。
大震災からの再建をはかるにあたり最も大切なことは、国民一人一人が「自分の生活さえ守れたらいい」という考え方を捨て、心を一つにすることである。そのためにも、昭和の時代を振り返り、苦難からどう立ち直っていったかを学ぶべきだ。
連休の始まりでもあるが、今年はとりわけ、そのことを確かめる「昭和の日」としたい