写真は5/1 薬物注射により死刑執行された死刑囚Michael Selsor(57)/アルジャジーラ動画より
http://www.aljazeera.com/indepth/2012/05/201251082420809540.html
遺族は37年経っても怒りは消えないのだろうか?死刑囚が泣いて詫びれば、それで気が済むのであろうか?この死刑囚は子供たちにみとられて死んでいったが、被害者は何もわからずにこの死刑囚から撃ち殺されたのだ。死に方も実に不公平である。やはり、謝って済むものではない。
謝罪をしろとことあるごとに言う迷惑な隣人がいる。でわが国はことあるごとに謝ってきた。それでも、また謝れと言う。いつまで経ってもきりがない。心から詫びていないからだと言う。本当のことでもないことに心から謝るのはどうすればいいのだろう?嘘つきは、いつでもできるのかもしれないが、生憎日本人は不器用である。
日本人は死ねば、水に流すこともある。ところが、隣人たちは死んでも許さない困った人たちだ。対象像を作ってはそこにオシッコをかけたり、唾をはいたりと日夜恨みを忘れない。最近では、わが国の大使館前になにやら永遠の呪詛を込めた子供の像を作った。これを見て、彼らは恨みを増幅させるのであろう。
嘘でもなんでも、相手の困ることをするのが困った隣人たちのDNAである。口先では、日○友好とのたまうが、日本が困れば困るほど喜ぶさもしい隣人である。
さて、37年間も刑務所にいて、死刑にすることこそ残酷な仕打ちではないのか?私は死刑に反対しているのではない。まともな人間になってから、死刑にすることを言っているのだ。
どれが一番残酷なのだろうか?
1. 死刑判決確定後、6か月以内に死刑執行を行う(刑事訴訟法第475条)
2. 本人に心から反省をさせ、自殺に導く
3. 本人が真人間となった段階で死刑執行を行う
4. 遺族に死刑執行権及び執行方法を委ねる
5. 死刑執行を廃止し、死ぬまで刑務所に監禁し、その様子をネットで公開する
【IZA5/23-《外信コラム》人生最後の1分間 壮絶そのものだった米刑務所取材】
米オクラホマ州の刑務所で先日取材した死刑執行の様子は壮絶そのものだった。複数の薬物注射によるもので最初、死刑囚の意識を失わせ、次に肺機能、心臓を停止させた。注射から数分の間に息絶えた死刑囚の様子は、今も目に焼き付いたままだ。
死刑囚は数週間前、執行日を最終決定する審理の際に被害者遺族に対し、「今さら謝罪しても遅いだろうか」と発言していた。模範囚で「尊敬されていた」(関係者)とも聞いていただけに、処刑前に与えられた約1分の間に当然、遺族に謝罪の言葉が発せられるだろうと思っていた。
だが、謝罪の言葉は全くなく、彼の口から出たのは自分の息子らを励ます言葉だった。人間として、遺族に心からわびることこそが、人生最後になすべき行為ではなかったか。息子らへの言葉はその後だろう。
死刑囚が数週間前に口にしたという「謝罪」は本心からではなく、“命ごい”から出た言葉だったのではないかと思わざるを得ない。37年前、死刑囚が放った銃弾に胸を貫かれ、絶命した被害者や遺族の無念に心寄せるとき、軽々に言葉を発してほしくないと切に思った。37年もの間、死刑囚が生きていた年月は一体、何のためにあったのか。遺族にとっては実に重い歳月だった。(黒沢潤)
From the crime to execution: 37 years
September 1975: Selsor kills a convenience store manager in west Tulsa and flees to California, where he is arrested.
January 1976: He is convicted of first-degree murder and sentenced to death.
April 1977: The sentence is commuted to life in prison after the U.S. Supreme Court forces Oklahoma to reform its death-penalty law.
October 1991: Selsor launches a new round of appeals in federal court.
April 1996: The U.S. 10th Circuit Court of Appeals orders a new trial.
October 1997: The state Court of Criminal Appeals rules that Selsor can face the death penalty again.
February 1998: Selsor is convicted again and, again, sentenced to die.
March 2012: Officials schedule the execution for May 1.