2012年2月アーカイブ

写真と記事はロシア誌Аргументы и Факты=論拠と事実より

Сын Ким Чен Ира: «Обожаю всё русское!»=金正日の息子、《私はロシアの全てを愛する》

http://www.aif.ru/society/article/49530

この見出しは、ロシア人記者がカジノの出口で金正男にロシア語で話しかけ、彼が英語で応えた言葉である。

記者「こんにちは」

正男「どうも、私はね、ジャーナリストを除けば、ロシアの全てを愛してます」

記者「あなたは北朝鮮の政権交代についてどう思いますか?」

正男「父親のことで私は悲しい。モスクワは今日は寒いですか?」

記者「酷い寒さです」

正男「私は雪が恋しい。さよなら」

 

下記は金正男の泊まっていたホテル「GRAND LAPA MACAU」↓日本語

http://www.mandarinoriental.co.jp/grandlapa/

どうやらココの17階に部屋をとっていたようだ。常に若い女性を二人から三人伴って遊んでいたと言う。「共産主義プレイボーイ」に対して、ついに北朝鮮は処分をすることに決め、送金を停止した。15000ドルの支払いができず、部屋を追い出されたと書かれている。

 

IZA2/17-金正男氏 北の送金停止で困窮? ホテル代滞納と露紙】

 【モスクワ=遠藤良介】ロシアの有力週刊紙「論拠と事実」は17日までに、北朝鮮の故金正日総書記の長男でマカオに居住する金正男氏が最近、滞在先のホテルで宿泊費を滞納して追い出されるなど資金難に直面していると報じた。同紙は北朝鮮が正男氏を「懲罰」するために送金を停止したとの見方を伝えている。

 

 同紙はこの中で、正男氏が高級アパートに家族を住ませ、カジノ遊びに興じるなど豪勢な暮らしをしてきたと指摘。現地当局者の話として、住居代は中国の特務機関が、賭博や女性との交遊費用は北朝鮮がまかなってきたとしている。

 

 だが、現地のホテル関係者によると、正男氏は最近、滞在費1万5000ドル(約118万円)を払えずに居室から退去させられ、担保として差し出されたクレジットカードの口座には残高がなかったという。

 

 同紙は正男氏が最近、北朝鮮の新指導者、金正恩氏について「権力の座に長くはとどまれない」と発言したことが送金停止の理由ではないかとする現地英字新聞社長の見解を紹介した。ただ、「論拠と事実」の記者はその後も護衛に伴われた正男氏をカジノ前で目撃しており、中国は正恩氏に何かあった場合の親中派後継者として正男氏を抱え続けるだろうと結論付けている。

 

写真は金正男4歳の時の写真、一緒に写っているのは母である成恵琳の母キム・ウォンジュ/北朝鮮リーダーシップウォッチより

http://nkleadershipwatch.wordpress.com/kim-family/kim-chong-nam-kim-jong-nam/

 

映画女優であった母・成恵琳は、慶尚南道昌寧郡で代々大金持ちだったソン・ユギョン(成有慶)とキム・ウォンジュの13女のうち二番目娘として生まれた。金正日と出会う前にすでに李平と結婚しており、娘も儲けていた。ところが、金正日が見初め、強引に離婚させられ、金正日と結婚し、金正男が生まれた。ただ、この結婚は金日成に認められておらず、金日成が決めた労働党幹部の娘である金英淑と結婚させられた。金日成は金正男が生まれたことを知らず、金正日が金日成に打ち明けたのもちょうど写真にある金正男4歳の頃である。こんな秘密の結婚、秘密の子供、新しい夫人などに成恵琳は悩み、うつ病を発症する。1974年以降、モスクワで療養、2002565歳、モスクワで死亡する。

 

成恵琳の写真↓

http://ndarticle.joins.com/pad/2011/12/20/20111220143856611.jpg

 

 

 

写真は八王子市長黒須隆一氏/YouTubeより、1月29日、高雄市と姉妹都市になっている八王子市、ポートランド市(米国)、シアトル市(米国)、ブリスベン市(オーストラリア)、釜山市(韓国)の五都市よりゲストを招いている。

http://youtu.be/JEXTwt9uosg

台湾風の踊りがなんとも・・・。こうした席で重要なのはその席次である。黒須市長の対面に陳菊市長が座っている。かなり遠い位置だが・・・。

 

黒須市長の任期は2012/1/28まで、後任は石森孝志氏(54)に任せ、黒須市長の卒業式は高雄市で行い、黒須隆一氏は高雄市の名誉市民に選ばれた。

 

IZA2/17-《盧千恵のフォルモサ便り》姉妹都市 市長の卒業宴 青い目の神父が教えてくれた世界】

 東京・八王子市の黒須隆一市長が任期最後の日を、姉妹都市の台湾・高雄市で過ごしました。その夜、高雄の陳菊市長は、12年間市長を勤めた黒須市長の卒業宴を開き、長年交流に力を尽くされた氏の労をねぎらいました。両市の姉妹都市締結の紹介役をつとめたのが、当時の台湾駐日代表、許世楷だったということで、その宴にわたしたちも招かれました。

 

 高雄と八王子両市は、小中高校、看護学校から、ロータリークラブ、ランタン祭りなどさまざまな交流を行ってきました。それは形だけのものではなく、黒須市長の真心をこめた働きによって、実質のある交流を成し遂げ、高雄市は八王子市から多くのことを学んだ、と陳菊市長は感謝のことばを述べていました。糸の半分をお互いが持ってつながっている両市の「絆」、いつまでも続きますようにと祈りました。

 

 その宴席のわたしの隣に年老いた西洋人が座っていました。

 「英語? 中国語? 何語で話しましょうか?」

 「台湾に来たからには台湾語で話しましょう。それ以外では話しませんよ」

 「どのぐらい台湾にお住みなのですか? 上手な台湾語を話されるので、驚いています」

 「1962年、台湾へ派遣され、国外退去されるまでの17年間」

 「もしかして郭神父ですか?」

 「はい、郭佳信です」

 

 1960、70年代、台湾人がもっとも無力で孤立していたときの外国の友人、郭佳信神父とこのようなところでお会いするなんて、本当に驚きました。

 

 ■心の安らぎ見いだす

 中国共産党に追われた蒋介石軍が台湾へなだれ込み、戒厳令をしき、台湾人の尊厳、権利が剥奪されていた時代のことです。郭神父は台湾語の聖書で台湾語をマスターし、中部の彰化埔心羅厝天主堂で青少年補導のしごとにつきました。台湾語を話す青い目の神父は、子供たちから、学校では台湾語を下等、中国語を上等と差別していることを知り、驚きました。その後、学生たちの髪、服装、考え方までを、政府が学校を使って統制していることに気付き、学生たちが自尊心のない、他人に操られるパペットに育っていくことに我慢ができなくなりました。

 

 郭神父は、子供たちに木版画を教え、他人の鞭によって働く牛ではなく、自分の心に従って行動する人間であるようにと、芸術を通して自由闊達(かったつ)な世界があることを教えました。

 

 このような考えを持つ神父に心ひかれて、青少年だけでなく、自由、民主、人権を求めていた若い人たちが集まり、その中に姚嘉文(後の考試院院長)、謝聡敏(後の総統府国策顧問)、陳菊さんらがいたのです。郭神父は話し合いの中で、台湾人の心の痛みに気づきました。社会正義を求め-それは時には死の陰をも伴う危ない谷であった-ていた若い人たちは、安心して話し合える場所と同時に、心の安らぎを郭神父の天主堂の中に見いだしていたのです。

 

 ■国外退去、米に帰国

 1979年12月10日、美麗島雑誌社が高雄で行った「人権デー平和デモ行進」に、国民党政府所属の「疾風行動隊」は殴り込みを掛け、乱闘騒ぎが起きたのを理由に、政府はデモ指導者の逮捕を始めました。反乱罪は、死刑または無期の重罪です。台北に避難していた陳菊さんは、別の神父に車で運ばれ郭神父の計らいで天主堂の後ろにある女子修道院にかくまわれました。6日目、100人近くの警察官が修道院を取り囲み、捕まえに来ました。「郭神父は、そのとき私の肩に手をおき、のどをつまらせながら『神よ、このむすめを守りたまえ。勇気を与えたまえ』と祈ってくれた」と、話していました。その後、郭神父は「一番悲しい刑罰-国外退去」に処され、アメリカへ帰りましたが、台湾のために祈らない日はなかったと述べていました。

 

 「たびたび政治に関与するなと警告されたが、28歳で神父の職を選んだのは、神の正義が地に行われるようにと願ったからだ。台湾で過ごしてきた日々を後悔していない」

 

 「寒いニューヨークから、暖かい高雄にもどってきて下さい。私が、住むところをさがしてお世話します」と、陳菊市長は目を潤ませいいました。

 

 「もっと若かったらもどって来て働けただろうけれど。84歳、人生の卒業旅行に、懐かしい台湾に来ることができて、もう思い残すことはないよ」

 

 ブルーの澄んだ目は、満足の輝きにあふれていました。

 

 台湾に多くを与えてくださったお二人の人生、その卒業宴に連なることができたわたしはすがすがしい気持ちで、満天の星空を眺めながら帰途につきました。

 (許世楷(コー・セーカイ)・元台北駐日経済文化代表処代表の令夫人、盧千恵/SANKEI EXPRESS)

http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/world/china/546194/slideshow/458643/

 

高雄市と姉妹都市は以下の通り

ホノルル市(アメリカ合衆国ハワイ州)

メイコン市(アメリカ合衆国ジョージア州)

タルサ市(アメリカ合衆国オクラホマ州)

コロラドスプリングス市(アメリカ合衆国コロラド州)

マイアミ市(アメリカ合衆国フロリダ州)

サンアントニオ市(アメリカ合衆国テキサス州)

シアトル市(アメリカ合衆国ワシントン州)

ノックスビル市(アメリカ合衆国テネシー州)

プレインズ市(アメリカ合衆国ジョージア州)

ペンサコーラ市(アメリカ合衆国フロリダ州)

モービル市(アメリカ合衆国アラバマ州)

リトルロック市(アメリカ合衆国アーカンソー州)

ポートランド市(アメリカ合衆国オレゴン州)

ブリスベン(オーストラリアクイーンズランド州)

釜山市(韓国)

バランキヤ市(コロンビア)

カルタゴ(コスタリカ)

セブ市(フィリピン)

ダナン市(ベトナム)

ダーバン市(南アフリカ)

ブランタイヤ市(マラウイ)

東京都八王子市(日本)

 

姉妹都市の明確な規定などはない。我が国においては、自治体の国際提携の情報提供と支援を行う財団法人自治体国際化協会の基準として

1.両首長による提携書があること

2.交流分野が特定のものに限られないこと

3.交流するに当たって、何らかの予算措置が必要になるものと考えられることから、議会の承認を得ていること

の三つの要件を満たしていることを条件としている。(ウィキペディアより)

 

 

死んでもずっと続く生誕記念、これに命日を入れ、先祖数代遡れば、ほぼ毎週イベントが開催されることになる。現実に韓国は祭祀(チェサ、日本の法事のようなもの)国家であり、これに膨大なエネルギーを使っている。たまにやるのはいいけれど、毎月のように祭祀が行われるのは、無駄とは言わないが、時間の浪費でもある。

 

金正日生誕70周年、軍事パレード、忠誠式と何かにつけて、金正恩への意識付を行っている。金日成→金正日→金正恩とのラインを繰り返し行うことで国民の脳みそに刷り込んでいく。何をもって正統とするかは問題ではない。如何に刷り込むかが問題である。

 

IZA2/17-金正日生誕70年 異例の軍事パレード 正恩氏への忠誠式】

 【ソウル=加藤達也】北朝鮮の故金正日総書記の生誕70周年に当たる16日、金日成主席と金総書記の遺体が安置される平壌の錦繍山記念宮殿前の広場で、新指導者、金正恩氏に対する朝鮮人民軍の忠誠式が行われ、正恩氏が軍事パレードを閲兵した。ラヂオプレス(RP)などが伝えた。韓国の聯合ニュースによると、金総書記の誕生日(光明星節)に軍事パレードが行われたのは初めて。

 

 忠誠式では、正恩氏の最側近の李英浩軍総参謀長が軍を代表し、「全軍が最高司令官同志(正恩氏)を決死擁護する第1親衛隊になる」などと演説し忠誠を誓った。金総書記に関しても、「核保有国の威容をとどろかせ、反米対決で百勝の軍事的奇跡を創造した」と称賛した。

 

 また北朝鮮は同日、「錦繍山記念宮殿」の名称を「錦繍山太陽宮殿」に変更すると発表した。名称変更には、祖父と父を同等に「太陽」として神格化することで、正恩氏自身の世襲体制の正統性を強調する狙いがありそうだ。異例の軍事パレードや忠誠式を実施した背景にも金主席、金総書記と同様、正恩氏も忠誠の対象であることを軍に強く印象づける思惑があったとみられる。

 

 同日付の労働新聞も社説で、核保有により「誰もわれわれを軽んじることができなくなり、後世の繁栄が保証された」と主張。23日に再開される米朝協議を前に、核・ミサイルの開発・保有を継続する意思を改めて強調した。

 

 

 

1月29日、湖南省で起きた事故。下水道にたまったガスに引火し、重さ20キロのマンホールのふたが吹き飛び、男性も2メートルほど吹き飛ばされた。

 

 

写真は中国のプレゼント/網易論壇より、ぬいぐるみはおまけで包装紙の内側のびっしりと詰まった100元札がプレゼントの主体

票的奴隶=愛情は紙幣の奴隷になる

http://bbs.news.163.com/bbs/photo/242641831.html

 

そのうちに「花束」の「花」がなくなり、「札束」になるのかな!お金がなくなれば、愛も消える。ところが、お金ができると中国人は離婚が増えるんだな。あっちでもこっちでも愛と札をばらまくので。

 

 

写真は特殊部隊の訓練、たとえ火の中、水の中/網易論壇より

http://bbs.news.163.com/bbs/photo/242673434.html

 

轢かれているのではなく、これも訓練、死んでしまうと轢き殺されたのなるけど・・・

 

所謂、泥仕合?!

 

「ムツゴロウになったつもりでやれ」「ハイ、でもムツゴロウって何でしょうか?」「ハタマサノリだよ」「・・・」「貴様ら、何処の国と交戦すると思ってるんだ!ムツゴロウの国だぞ」「・・・」

 

「隊長、手が泥で固まりました」「撃てば直る」

 

「隊長、下に何かいます。あれ、隊長は?」

 

「なんだ、貴様はレンガを割っているのか?クソをしてるのか?一緒にやれ、バカモノ!」

 

「マルタを彼女だと思え!離すんじゃないぞ」「YesMalta is my girlfriend, I cannot speak Chinese.」 でも後ろの外人さんはどこの人かな???

 

「日頃の恨み!」「ホントに死んでしまうぞ」

 

「手りゅう弾60個、たったの27kgだ。全然重くないぞ」

 

 

 

映像は1996/5/6K-1GP決勝戦

二人とも鬼籍、マイク・ベルナルド選手は2012/2/1442歳で自殺、アンディ・フグ選手は2000/8/24、急性前骨髄球性白血病(APL)で35歳の若さで死亡している。

 

この試合でアンディ・フグがマイク・ベルナルドの足を攻めて、マイクはたまらずにダウン、優勝を逃した。すごく痛そうだった。なんとなく、彼のブヨっとしたところに親近感が持てた。

 

ご冥福をお祈りいたします

 

IZA2/16-“K-1”マイク・ベルナルド薬物自殺…藤原紀香「信じられない」】

 格闘技イベント、K-1で活躍した格闘家のマイク・ベルナルド氏が15日、母国の南アフリカ・ケープタウンで急死したことが分かった。42歳だった。関係者によると、薬物で自殺したとみられる。

 

 ベルナルド氏が所属するジムの会長であるスティーブ・カラコダ氏(59)は本紙の取材に応じ、「ベルナルド氏は14日朝、自宅で大量の錠剤を服用して倒れていた。救急搬送されたが、搬送先の病院で死亡が確認された」と話した。

 

 カラコダ氏によると、ベルナルド氏は2006年に引退を表明してからは母国・南アフリカに帰国。後進の指導に当たるとともにケープタウン市内の大学に通い、心理学を勉強していたという。

 

 一方、数年前に離婚。昨年12月にはカラコダ氏とともに会社を立ち上げたが、「多くの人に取り囲まれていたが、同時に孤独にもさいなまれていたようだ」(カラコダ氏)。別のK-1関係者は「ベルナルド氏は、精神的に不安定な面があった。敬けんなクリスチャンで、心の隙間を信仰心で埋めていたようだ」と語る。

 

 「豪腕」「無冠の帝王」と称されて格闘技ブームを牽引した立役者の急死に、格闘界、芸能界に動揺が広がっている。

 

 K-1中継の司会を務め、ベルナルド氏と親交のあった女優の藤原紀香(40)は自身の公式サイトで、「ベルちゃん(ベルナルド氏の愛称)はもうこの世にいません。いまはまだ信じられないけど、心からベルちゃんのご冥福を祈っています」などとコメントを掲載。同時期にK-1の舞台で活躍した格闘家、レイ・セフォー(41)が、14日未明に自身のツイッターに英文で、「冥福を祈ります」と投稿するなど、同僚選手らも次々と追悼のコメントを発表した。

 

 ベルナルド氏は1995年3月のK-1グランプリ(GP)大会に初参戦。翌96年のGP大会で準優勝を果たし、故アンディ・フグ氏らとともに「K-1四天王」の1人として活躍した。

 

 リング外でもカミソリメーカーのCMに出演。「切れてなーい」と叫ぶ愛嬌タップリの姿が、お茶の間の人気を集めていた。

 

 ■格闘技ジャーナリスト・片岡亮氏の話

 「ジェロム・レバンナやアーネスト・ホーストといった超大型ファイターたちと真っ向打ち合う姿は、元ヘビー級ボクサーのマイク・タイソンのファイトを目の当たりにしたときと同じくらいの衝撃を覚えたものです。豪腕でひたすら敵を打ちのめす単純明快な格闘技の魅力を体現し、興味がなかった一般人も魅了し、K-1全盛期の最大の功労者といっても過言ではありません。豪腕の印象とは裏腹に、ファンににこやかに手を振り、『ベルちゃん』の愛称で呼ばれるなど多くの人に親しまれた。それだけに(自殺などの報道は)いまだに信じられません。近年は、悩みが多く、人と会うことも拒絶するほど落ち込む日もあったと聞いています。いまは残念の一語です」

 

 

 

写真はShawn Kleinさん(51)Phil Fungさん(49)/ロイター動画より

http://uk.reuters.com/video/2012/02/16/sky-high-nuptials-for-gay-couple?videoChannel=2603&videoId=230170014

 

Shawn Kleinさんは病院の理事、Phil Fungさんは金融サービス会社のプロダクトマネージャー、二人の馴初めは、18年前、マンハッタンのナイトクラブ「ロキシー」で出会い、一目惚れだそうで、何かこみ上げるものがある。(感動ではなく、胃のあたりから・・・)

 

ベトナムと北朝鮮の30年もののカップルにも驚いたが、これよりもゲイカップルを唸声は理解できない。地上400mで永遠の愛だそうで、何とかと何とかは高いところがお好き?!

 

さて、まじめな問題として、アーノルド・トインビー博士は歴史の研究(19341961)の中に<社会衰退の五条件>を書かれている。

1.利己主義の蔓延

2.国民が自立心を失う。

3.政治家が民衆に迎合する。

4.次の世代の教育を怠る。

5.金銭至上主義、物欲、財欲、独占欲、色欲

これをご覧の皆様はすぐにピンと来る筈、まさに我が国にピッタリと当てはまる五条件なのである。この色欲の中に同性愛も含まれるかな。

 

IZA2/16-エンパイアビルで初の同性結婚式】

 米ニューヨークの高層ビル「エンパイアステートビル」の最上階で2月14日、同性カップルの結婚式が初めて行われた。米メディアが伝えた。過去20年間、審査を勝ち抜いた数組のカップルが毎年、エンパイアステートビルの最上階で結婚式を挙げてきたが、同性カップルが選ばれたのは初めて。今回は、ニューヨークに住む男性カップルとアラスカ州の女性カップルがほかの2組とともに地上約400メートルで永遠の愛を誓った。

 (SANKEI EXPRESS)

 

 

写真は「не продается=販売していません」の表示に固まるロシア人/オレアンダニュースより

http://www.oreanda.ru/ru/news/20120215/common/popnews/article611079/

 

 

まるで事件現場のような酒売り場

 

上記記事によれば、連邦独占禁止局(FAS)は、午後11時から午前8時までアルコール販売禁止に関する途中経過の報告をした。調査結果は、明るいものではなく、禁止による抜け道が明らかとなった。さまざまなトリックは以下のIZAをご覧あれ。

 

ロシアの2010年の平均アルコール摂取量は8.9リットル、2011年は9.2リットルと増加している状況の中で、夜間の酒販売禁止は、アルコールによる交通事故・けんか等を減少させた。アルコールによる犯罪は、2011年上半期と比較して、モスクワでは23%減少、沿海州では40%減少、ロシア全体では14%減少していると言うが・・・。

 

但し、夜間のニセウォッカが出回れば、死者も増えるし、犯罪も増える。時間の問題だ!

 

IZA2/16-《外信コラム》飲酒大国ロシアで夜間禁酒令!の顛末】

 平均寿命の短さや高い自殺率、家庭崩壊など、およそロシアの社会問題の根底には酒がある。

 

 そこで近年は、各地の行政当局が夜間に「酒」(アルコール度数15度以上と規定)の販売を禁止する措置をとっており、深夜営業の店では酒売り場に網がかぶせられたりしている。私自身、寝付け薬にキツイのを引っかけたくてもビールくらいしか買えないため、この規制には一定の効果があると思っていた。

 

 ところが、さすがはロシアである。新聞報道によると、“夜間禁酒令”の抜け穴を突き、深夜の酒配達で荒稼ぎする業者が各地に跋扈(ばっこ)しているというのだ。

 

 配達人が客から「借金」をし、「抵当」としてウオツカやウイスキーのボトルを提供するのが手口の一例だ。客に500ルーブル(約1295円)や1千ルーブルで磁石やカードなど意味のない商品を買わせ、おまけとしてボトルを「贈呈」する業者もある。禁止されているのはあくまでも「販売」だろうというわけだ。

 

 当局も当局である。従来のモスクワでは午後10時~午前10時の酒販売が禁じられていたのだが、最近になって、3時間短縮する市政府令が昨年11月に出されていたことが報道で発覚。こんなことが何の議論もなく、ひそかに決められていたというのもロシアらしい。(遠藤良介)

 

 

 

写真は40年前の北朝鮮のリ・ヨンヒさんとベトナムのファム・ゴック・カインさん/BBCより

http://www.bbc.co.uk/news/world-asia-17022823

上記BBCには現在までの9枚の写真あり

 

1971年に北朝鮮に留学し、恋に落ちたカインさん、30年後にハノイでリさんと結婚をした。結婚式は700人もゲストを呼んだ盛大なものだった。

 

北朝鮮であり得ない話が実現するには、やはりお金と時間がかかる。

 

IZA2/15-ベトナムと北朝鮮のカップル、困難乗り越え30年後結婚】

 英BBC放送(電子版)などは14日のバレンタインデーに合わせ、ベトナム人男性のファム・ゴック・カイン氏が北朝鮮留学中に出会った女性、リ・ヨンヒさんと恋に落ち、国の事情で引き裂かれた後もいちずに愛を貫き、約30年後に結婚した話を紹介した。

 

 現在、60代半ばの2人は、ハノイで幸せな生活を送っているという。カイン氏は1971年に北に留学し、リさんと恋愛。当時、本国から国際結婚を許可されず、2年の留学を終えて帰国したものの、文通で引き続き愛を育んだ。その後も両国のスポーツ交流でベトナム側通訳として何回か訪朝。92年を最後にリさんからの手紙が途絶え、閉鎖的な国情もあり音信不通に。2001年にベトナム政府代表団が訪朝すると聞き、ベトナムの外相らに手紙を送り、助けを求めた。数カ月後、北当局から結婚を許可するという知らせが届いた。02年にハノイで結婚式を挙げた時、カイン氏が54歳、リさんは55歳だった。(共同)

 

 

 

唸声


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