彼ほど殴られて有名になった男はいないでしょうね。しかし、億を超える賠償金も使い果たし、最後は無職で自宅のプールの底に沈んでいたのですから、ロス暴動の最後はさびしい決着となりました。
警察を変えたのは、ロス暴動なのですが、ロドニー氏がきっかけを作ったので、やはり、彼が警察を変えたことになりますかね。
さて、警察は変わりましたが、暴動の本質は変わったのでしょうか?今でも、いつ爆発するか分からないマグマを抱えているのではないでしょうか?
ロス暴動では韓国人経営商店が集中的に狙われました。現在、韓国人に対する米国人の憎しみは消えたのでしょうか?ロビー活動をして自分たちに有利に運ぶやり方を米国人たちは見ています。韓国人だけではありませんが、銃乱射も米国人たちは嫌悪しています。
感情爆発を抑えきれない韓国人はやがて中国人にも矛先を向けていくものと思われます。それはさておき、金持ちになった韓国人や中国人に対して、低下層の黒人やヒスパニックはどう思っているのでしょうか?マグマは溜まりつつあります。きっかけは突然やってくるものです。
【IZA6/19-反人種差別の象徴から転落…数奇な人生 ロス暴動の発端 R・キングさん死去】
1992年4~5月の米ロサンゼルス暴動のきっかけとなった白人警官による黒人青年殴打事件の被害者、ロドニー・キングさん(47)が6月17日(日本時間18日)、カリフォルニア州南部の街、リアルトの自宅プールの底で死んでいるのが見つかった。婚約者が発見し、警察に通報した。捜査当局は溺死(できし)として捜査を進めている。
■自宅プールで発見
暴動発生20周年に合わせ、回顧録を出版した直後の死だった。多くのメディアは、人種差別の平和的解決を訴える全米のヒーローから一転、アルコール依存症から立ち直れず、裁判で勝ち取った巨額の賠償金も浪費で使い果たし、無職だったというジェットコースターのようなキングさんの数奇な人生を哀れみとともに報じた。
米紙ロサンゼルス・タイムズによると、酒乱だった父親のせいで荒れた日々を送り、中学時代から飲酒に走る問題児だった。89年、近くのスーパー経営者を暴行。強盗の罪で懲役2年の判決を受けた。
そして仮釈放中だった91年、友人と飲酒し車で帰宅中、警官に呼び止められた。仮釈放中の飲酒運転がばれるのを恐れたキングさんはパトカーと激しいカーチェイスを展開。結局捕まり、4人の白人警官に木製の警棒で50回以上殴打され、スタンガンを当てられた。暴行の様子がテレビ放映され、4人は過度の暴力行使の罪で起訴されたが、92年無罪となった。激怒した黒人たちによってロス暴動が発生。市当局によると、死者53人、負傷者2000人以上となったほか、建物約1100棟が破壊され、被害額は10億ドル以上に達した。
しかし、キングさんは暴動発生の3日後に会見し、テレビカメラに向かって「みんな、仲良くできないか? お年寄りや子供たちのために暴力を止められないか? (暴力沙汰では)何も変わりはしない」と演説、暴動が沈静化に向かった。
「残虐な殴打事件が、問題を抱えた男を(黒人に対する人種差別解消を訴える)公民権運動の象徴に変貌させた」(ロサンゼルス・タイムズ紙)瞬間だった。1年後、4人の警官は公民権法違反の罪で裁判がやり直され、2人が有罪になった。
■底を突いた賠償金
キングさんはロサンゼルス市を訴え380万ドル(約3億円)の賠償金を勝ち取り、訴訟費用を除く160万ドル(約1億2000万円)を手にした。自分と母親用の家を買い、レコード会社を始めたが、93年に飲酒運転で壁に激突して以降、何度も警察沙汰を起こした。賠償金も底を突き、最近は土木作業員として働いていた。
キングさんは回顧録の出版に関する米CNNの取材に「人種差別問題は解決されてはいない」と明言。しかし、自分を殴打した警察官を「もう許した。彼らには敬意を抱いている」と話した。暴動以降、市民の考え方だけでなく、ロス市警と市民との関係も大きく改善し、犯罪発生件数も減少している。
米紙ウォールストリート・ジャーナル(WSJ)は、暴動以降、ロス市の人種間関係に大幅か、ある程度改善したと答えた人が69%に達し、10人中7人がロス市警を良い、または素晴らしいと評価したというロス市のロヨラ・メリーマウント大学の4月の調査結果などを伝えた。
(SANKEI EXPRESS)